●普く通じる
人は特別になりたがる。自慢する。実績や学歴を誇る。世間に自分を行き渡らせたいのだろう。気持ちはわかるが外面は内面の裏返しだ。これでは内面の心の貧しさや無知が見え見えだ。
坐禅は何か叶うわけでもないし、偉くなるわけでもない、なんでもない。なんでもないと言うのはああなればいい、こうでなければいけないなどがない。なんでもないけど調和のとれた姿勢だから怒られることはないし、褒められることもないし、虐められることもないし、羨ましがられることもない。とにかくなんでもない。普通なんだ。普通ってのは文字の通り「普く通じる」(あまねくつうじる)だ。もう既に全てに広く行き渡っているのよ。太陽の光のように。
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