2025年7月19日土曜日

[8866] 退がる

 ●退がる
 こんな歌がある。
「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩退がる♪」
 人はこの二歩退がるがなかなかできない。
「あれもやらねば、これもやらねば、そんなことしている暇はない」などと無意識のうちに進むことを強いられている。私が一歩下がることをやり始めたのが40歳の頃、あまりに作品制作に追われていて、当時の10畳ほどの庭をふと見たら、草茫々。何の気なしに草をむしっていたら崖の上に梅の花を発見し心地よさを味わった。そして庭に興味を持ち手入れし始めた。進むことを忘れられる一歩退がる行為こそ庭の手入れだった。
 今日もいつもなら一日一回で済む花壇への水まきをこの暑さで午後もやる。進むことばかりでは花は枯れるだろう。手入れを誰かに任せればお金を払わなければならなくなりより多く仕事を進めなければならなくなる。それに誰かが作った花壇の花に思い入れはない。それは造花のようなものだ。一歩退がるとは自分の身も心も退がることだ。
 そしてもう一つの退がるが早朝坐禅だ。これのすごいのは退がることから一日が始まることだ。進むことに支配された心身が支配から解放される、というよりも早朝なので始めから支配などなかったということを知る。ならばその後の仕事も坐禅で庭の手入れも坐禅だったことを知る。何もかも坐禅だったことを知る。そして四季折々の環境や宇宙の運行が己を含んで一歩一歩勝手に進んでいることを知る。





 

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