●Do Be
するというのがDoing で、真の在り方がBeing 。精神世界ではBeingが推されている。したくない怠け者が知識によって幸せになるみたいな思考だ。怠け者の悟り方なんていうのもあるからね。やはり根源でもある坐禅が重要だ。他人の坐禅を見てもそれらしい知識だけ得ても悟りはしない。坐禅は自分がする。坐禅はしないをする。この無分別を身体が悟るから在る。
2026年2月28日土曜日
[9090] Do Be
2026年2月27日金曜日
[9089] 庭いじり
●庭いじり
庭の木を剪定しテーブルや椅子を出す。これだけで清々しくなる。
粘土いじりは仕事で作品を売るという目的がある。絵は個人的で純粋だが高慢なアートがちらほらする。畑は作物を美味しく育てる目的がある。その点、庭いじりはそんな余計なものが全くなく心・身・動植物・気候・空気など大自然が全てピッタリくっついて隙がない。純粋そのものだ。目的というのはズレがあるから不純だ。この庭いじりこそが他の目的志向の不純物を浄化する。
2026年2月26日木曜日
2026年2月25日水曜日
2026年2月24日火曜日
[9086] 居心地
●居心地
数日前、家の前の道路に真っ黒い高級車が二台入ってきた。ピカピカの黒で黒の上にニスを3回ぐらい塗ったような黒。中から黒尽くめの男どもが数人、歩いて吊り橋に向かった。男どもは背筋がピンと伸びていて内ポケットにはピストルを持ってそうな雰囲気だ。吊り橋の向こうには蕎麦道場があって蕎麦打ち体験ができる。どこぞの組長が蕎麦打ち体験をしたくて視察に来たのかもしれない。うちの車が出る時に邪魔だが、運転手が一人残っているから「退いてくれ」と言えばいいだろうと放っとく。
暫くして男どもは吊り橋から戻ってきた。なんと知った顔の大臣、私を見て手を振った。彼は私の家など知らない。多分、面白い家があるけど誰の家だろうと思い、秘書にググらせたら私の名前が出たのだろう。「もりさんの家ですか? 素晴らしい。中を見せてもらえませんか?」と。彼とは多分10年以上前に一回、数年前に一回会っている。二回ともカフェだ。
数分だが家の中を案内した。庭の景色を見て「楽園」と言ったし床暖のことなど聞いたりベストな雪国暮らしを探索している感じだ。それと私が創造した『雪落とし』という構造に興味を示した。これまでこれに質問した人はいない。そうか、そこで納得した。カフェとは人々が居心地を求めていくところだ。彼が見ず知らずの家を見て興味を示したのは、この家に居心地を観たのだ。
実は私の家は居心地100%を吟味して他の家にない構造的アイデアを施している。『雪落とし』だけでなく『木並』や『半円形の家の形』など。それも構造だけでなくそこから居心地に向かう創造が加味されている。よく見てくれた、いや〜嬉しいね。なかなか賢い人だ。居心地は物ではなく包み込む空気のようなもの。世間の右や左、上や下という二元の概念を超えた先に居心地がある。それは根源でもある。だから全てを包み込む。幼児は居心地以外を知らない。この先あらゆるものを忘れても居心地だけは忘れることはできない。なぜなら居心地は思考の範疇ではないからだ。その空気を感じそこに留まれる人次第なのだ。
2026年2月23日月曜日
2026年2月22日日曜日
[9084] 瞑想と坐禅
●瞑想と坐禅
瞑想と坐禅の違いを考えてみた
瞑想は「私がする」
坐禅は「神仏が私を通してする」
愛に喩えれば
瞑想は「私が愛する」
まぁエゴだから一方的な愛だ
坐禅は「愛の中に私が身も心もどっぷり浸っている」
もう最高〜、ってな感じ
でも浸っているからわからない
地球の上にいるから
地球の自転がわからないのと同じだ
みんな坐禅すればいい
2026年2月21日土曜日
[9083] 観音菩薩
●観音菩薩
SSに絵を見せたら「じじネタかよ」と言われた。
はて? ジジィのネタ? ジジィと寝たいのか? 時事ネタか!
数日前、SSがインスタを見せてくれた。昔千葉に住んでいた時、よく市川動物園に行った。そこの猿山の子猿パンチ君の映像だ。パッとみた瞬間、どうしようも無い世の中を知った。もう切なくて切なくてジジィは涙もろい。私は時事ネタなど描く性格ではない。ではなぜ描いたのか? 絵にして昇華したいのだろう。おかげで春の個展のタイトルが決まった! 『南無観世音菩薩』だ。最近の絵は私流の観音菩薩だったことに気づいた。
2026年2月20日金曜日
2026年2月19日木曜日
[9081] エクスタシー
●エクスタシー
最近本を読まない。ネットもあまり見ないことにしている。どうも目眩がしてくるのだ。
文字や映像はまず初めに目から入り頭で物語を理解し考察し最後に感心したり感情を揺らす。これらは階段を昇るようなもので段階がある。地盤が文字だから空想だ。宙に浮いているような。目眩するわな。
ところが絵を描くとか粘土いじりとか庭いじりなどは身体と目や頭が瞬間瞬間同時だから確かな手応えや達成感がある。出来栄えの良し悪しはどうあれ、身体の芯が生きているエクスタシーを味わっている気がする。エクスタシーの反対がバラバラだ。エクスタシーの生き物をバラバラにして、その部分部分をもう一度繋げても生きない。文字を繋ぐのも。バラバラは本当の理解でもエクスタシーでもない。近似もしくは喩えや方法だ。
2026年2月18日水曜日
2026年2月17日火曜日
[9079] 超えて超えて
●超えて超えて
迷い悩むのは
他のモノや事や考えなどに巻き込まれ
己の方向を見失う時だ
全てに対して間合いを取ることが大事
人は普通イヤなものには近づかない
嫌いからは間合いを取っている
好きなものからだって間合いを取ること
好きは嫌いの裏側みたいなものだからだ
同じコインなのだ
そのうち間合いが好き嫌いを超える
超えたその方向が己だ
2026年2月16日月曜日
2026年2月15日日曜日
[9077] 視点
●視点
いろんな視点がある
好きという視点で人をみる
嫌いという視点で人をみる
嬉しいという視点で人をみる
寂しいという視点で人をみる
虚しいという視点で人をみる
お金の視点で人をみる
怒りの視点で人をみる
慈悲の視点で人をみる
無の視点でみる
2026年2月14日土曜日
[9076] 陰陽太極図
●陰陽太極図
あの子供はアジアン料理は食わない。あっちの子はフルーツを食わない。そっちの子はヌルヌルを食わない。など最近の子らは偏食が多い。私が若い頃は珍しい料理なら一度は食ってみたい好奇心があった。音楽でもアートでもいろんなものに興味があった。
今はイノベーションがガンガン発展していて欲しいものはなんでも作られる。だから逆に進まない方向が必要なんだろう。社会が保守的なのはそのせいかもね。未来の方向は直線ではなく、陰陽太極図のように波だったり円だったりが複雑に絡まっているような。







































