2023年7月7日金曜日

[8223] 有意義

 ●有意義

坂東夫妻の発展的思考と実践に刺激を受け、

初めての長距離運転で大人の階段を昇ったせいか、

夜中にとてもハッピーで心地よい大人の夢を見た。

早朝坐禅でも新作への意欲が湧いているのを感じられた。

全てにおいて有意義な二泊三日の村上市の旅だった。






2023年7月6日木曜日

[8222] アートスペース

 ●アートスペース

坂東さんが2年前、70過ぎて新潟県村上市にカフェを開いたのには驚いた。

なんと! 今度は、アートスペースまでオープンしたのだ! 

いやいや刺激になるお方だ。

やるべきことをしっかり突き進んでいる。

そのうち個展をやることになるかもしれないので見学に。

日本海、夕陽、すっかりいい気分満喫して、帰ってきました。









2023年7月5日水曜日

[8221] 権力

 ●権力

ここ村山市ではほぼ毎年、どこかで個展をやってきた。

新しくできたリンクムラヤマでやろうかと思ったが、

いまいちモチベーションが上がらない。

初心に帰って久しぶりに徳内記念館がいいかなと思い、

前担当してくれた役所の鈴木さんに会いに。

鈴木さん「今は退職してバイトの身だから権力がない」と。

へ〜、権力、なんだそれ?

数年前、僕がやった個展は権力のおかげだったわけだ。

ならば権力への恩返しに、すごい個展をしてあげようかしら。






2023年7月4日火曜日

[8220] 空虚

 ●空虚

 この間、今度結婚する若者から婚姻届の証人になって欲しいと頼まれ一緒に初めての蕎麦屋に行った。ちょっと離れた隣に座った男性がじっと僕の何もかもを抉るように見つめた。若い者同士なら敵になる。挙げ句の果てには事件にまで発展することもある。考えてみたら僕は昼間っから天ぷら板そばにビールを飲んで公共の蕎麦屋で我が物顔で「結婚なんてするな!」などと冗談を言ってはしゃいでいる。大体において僕は声がでかい。傍目から見ればうざいヤツだ。

 しかしこの眼、この時、この男性に自分の内面の『空虚』を覗かれた感じがした。それは空恐ろしいものだった。『空虚』とは「意味などない」というものだ。蕎麦屋でのこのような態度をしている自分の内面は無意味だ。意味がないからこそ表面上何かあるように賑やかに振る舞う。

 人間はみんな空虚を持つ。その感情的表現が「寂しさ」だろう、人は寂しさを抱え、それを何とか誤魔化しながら生きている。だから内面の無意味の反面として外部に意味としてのお金や人やものや思いをたくさん所有する。空虚を無に帰すためだがそれは無理なことだ。無いものを無くすことはできない。

 ふと、若者のそのじっと見る眼差しは不動明王の眼に思えた。僕が見ているこの世界は誰の世界でもなく僕の世界であり無我の意図だ。その眼は僕への何らかの意図なのだ。不動明王が昼から生意気にビール飲んで騒いでいる僕の意味の無意味さとして剣先を射したのだ。つまり僕に無意味な空虚を気付かせた。

 もしこの空虚に気付いて、ものを観るなら、それは幼い子供が無垢にじっと見るような眼だ。意味のないことは無垢な心には何でもないことだが、意味を追いかけた大人には耐え難いほど空恐ろしい。その結果、恐ろしさの真理を理解できず争い奪い所有に所有を重ね本当の無意味である砂上の楼閣にどっぷり浸かる。それは虚しい。







2023年7月3日月曜日

[8219] スイレン

 ●スイレン

花がでかくなってきたような気がする。

問題は水が減ることだ。

どっか漏れている。

修理ですね。






2023年7月2日日曜日

[8218] すこだま

 ●すこだま

モンステラの葉がベタベタする。

見たらカイガラムシが

すこだま(いっぱい)ついている。

こういうのが庭にすこだまいて

かゆみの原因なんだろうね。

よく見ると古い葉っぱの方にすこだまついている。

若い葉っぱにはほとんどいない。

元気がないものに虫やダニがつく。

まぁそういうもんだろうと思いながら

しつこいカイガラムシをスポンジですこだま拭き取った。






2023年7月1日土曜日

[8217] 世界共通語

 ●世界共通語

 一般的に世界共通言語は何?と聞かれたら、英語と答えるだろう。しかし英語はdualism二元論だ。夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したと言う。「I」も「you」もない。それでも「愛している」の意味を超えて風景が浮かぶから愛が深い。また日本人の会話ではほとんど「I」を省く。禅語などはまさしく二元を超える悟りを促す。俳句などは方向の違う二つ(二元)を取り合わせるもの。これらは日本人の生活言語の中に二元超越感覚として浸透している。だから日本語を使うということは二元論の域を超えている感覚を持つことに繋がる。分断が叫ばれる今こそ分断を超える言語感覚が必要だろうと思う。これは世界の人々が共通に求める意識でもあるから世界共通語といえなくもない。まぁ日本語でなくても二元超越は必要だろう。それは哲学の止揚ではない。