●真ん中
『端を渡るな!』からの連想。
振り子はいつだって左右の真ん中を通る。
振り子は上から重力によって下に引っ張られている。
真ん中とは上下左右を含む。
真ん中とは『本末転倒』の『本』だ。
上下左右が『端』で『末』だ。
上下左右はあなたの真ん中ではない。
『末』は結末、だからそこに行きたがる。
『末』は気になるが、本気にするな。
スイレンの花を見る。
咲いてなければ花はないと思う。
花はずっとある。
●真ん中
『端を渡るな!』からの連想。
振り子はいつだって左右の真ん中を通る。
振り子は上から重力によって下に引っ張られている。
真ん中とは上下左右を含む。
真ん中とは『本末転倒』の『本』だ。
上下左右が『端』で『末』だ。
上下左右はあなたの真ん中ではない。
『末』は結末、だからそこに行きたがる。
『末』は気になるが、本気にするな。
スイレンの花を見る。
咲いてなければ花はないと思う。
花はずっとある。
●肛門
肛門が痛い。
坐禅のせいかな。
1時間、座りっぱなしだもんな。
仕事も座りっぱなしが多い。
大体ワシ、これまで痔の手術2回している。
困ったな。
坐禅は飯食うことより大事で
深いところが見えて浄化されるし
大好きで止めたくない。
でも痔が…
目の前にロッキングチェア。
板2枚付けて座ってみた。
お! 肛門に負担がない!
治るまでこれで坐禅だわ。
●しないをする
市外者のヒカル君が県外者の若い女性を連れてやってきた。彼女は勤め先を辞めて外国を20カ国旅行。今はヒッチハイクで日本を一周している。これから北海道に向かうらしい。日本一周終えたら普通に働くかもしれないと言っていた。
彼女は仕事を『する』から、仕事を『しない』を通って、旅を『する』に移行した。「端を渡るな」考で言うところの、右の端にいたが、それを『しない』で、左端に移行した。
ここで思った。この移行の真ん中には『しない』がある。『しない』を一瞬横切る。『しない』を身体丸ごと経験する。『しない』経験は無いのだから透明だ。旅に出たことも新鮮なことだが、この透明な『しない』経験がとても大事だと感じた。多分そこで心洗われ子供のように無垢になると思うのだ。
大人は無垢さを取り戻すために『しない』を体感することだ。『しないをする』で最もシンプルなのが坐禅だ。
●端を渡るなⅡ
橋の真ん中を渡るといっても
人は揺れるものだ。
右に揺れたり左に揺れたりする。
それを修正しながら真ん中を渡る。
修正はいつだってできる。
間違いは誰にでもある。
危ういと気づいたら修正すればいい。
真ん中に戻ればいい。
右も左も分からず(左右に分けず)
がむしゃらに進んでいたあの頃のように。
●端を渡るな
一休さんの話で「このはしわたるべからず」の立て札。
一休さんは橋の中央を渡り「端ではないよ」というトンチ話だ。
ただの屁理屈ガキの発想だと思ったが
『中道』が過った。
橋の端は右や左だ。
右も左も橋の端は危険だ。
(実利だったりスピリチュアルだったり)
みんな真ん中歩いていたのに
堂々と胸を張って真ん中歩きたいのに
政治を意識した途端
政治家になった途端
金が動くせいか
前に進むことを止め
知恵停止して左右の端に向かう。
一休さんのように
右でも左でもなく
諦めずに真ん中を渡る知恵を育もう。
●市外者の会
昨晩はこの市以外の市や県からここに移住した若い方々をお招きして『市外者の会』を開いた。焚き火はもちろん、調理用の薪ストーブにアート作品を吊るしたバーカウンターなどを設置した。僕が命を懸けて造り維持し続けている庭の風景を喜んでいただけたようで大変うれしく、苦労した甲斐があった。手作りテーブルも風景にすんなり馴染んでいた。
いつもは規律正しく静かな生活なのに久しぶりに賑やかにテンション上げたせいかよく眠れず、早朝から少し二日酔い状態のまま村の河川敷の草刈り。それが終わって、これから雨が降るというので庭の後片付け。ドドど疲れだ!
疲れてもこのようなことをやるのは若い人達に自分のアートの核心『わ』や『坐禅』などを対面で伝えたい気持ちがあるからだろうと思う。だから誰でもいいわけではない。しかし今後はこれもあまりしないだろう。やはり坐禅の延長の静かに一人焚き火がいいかな。