2019年1月14日月曜日

[6592] 文脈

●文脈
今日は若い作家と最近のアート情報交換会。
 ペリペリのレイヤーに興味を持ってくれたので嬉しい。昨今のアートの多様化している文脈について話す。
 文脈で思い出すのは、まだ文脈なんて言葉なんか知らなかった自分がニューヨークで展示会した30の時、現場にいるので自ずと欧米のアートの文脈がビンビンに感受できた。それを数値化したような『ポイントアート』というのが思い浮かんだ。本にしたらイケると思ったが、帰国したらもちろん日本ではポイント制のゲームのようなアートなんてとんでもない。清く貧しく美しくが蔓延しているところにそんなもん提示したら、自分が美大出てるわけでもないし、一般人からは多分反対意見が多すぎて、こりゃあ生き難い。自分の中にも清貧美ではないが、精神の奥隅に弱々しく抵抗している得難い広大無辺の何かがいたのだと思う。ならばその美術分野とは別の方向を模索して、日本と欧米の哲学の中間地点として提出したのが、高ポイントでもあった『猫神様』だった。それがブームになって良かったのだが、鎖国したように日本側にどっぷり浸かり忙しくなって、心ぐらいは開国深部まで行かせることさえ怠け、アートへの探究心はおざなりになっていた。しかしさて還暦だ、再びアートを通して個人なり世の中を探求したくなり挑戦。そこで運良く『ペリペリ』を発見した。若い頃のような欲望の活動は面倒だし、心身にこびり付いた余計なしがらみや情報や概念を剥ぐのに大変だったが、猫教の尊師の座もペリッと剥いで、ようやくペリバができて、15石あるが14石までしかポイント化できない吾唯足るを知る的概念の叡智の空間(龍安寺)にある本当の『全部』を自分の体質に合った緩やかなリズムで観察しているような気がする。そんなことを話した。

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