●我
我思う、ゆえに我あり
我思わなければ、無我の我あり
●思い
坐禅していると、いろんな『思い』が出てくる。『思い』はほぼ自分にとってイヤなことなので、自分が幸せになれることを考える。でも幸せになる方法なんて、お金だったり政治権力だったり永遠の命だったり、実際それらは妄想だ。それらが幸せにする保証なんてないからだ。
所詮、政治家も大金持ちも人気者も美男美女も表面が良さそうに見えるだけで歳はとるし、病気にはなるし、死は間違いない。内面はみんな苦しんでいる。
ところで嫌な思いの頭で幸せを考えても幸せのアイデアは生まれない。バカがいくら考えてもバカな考えなわけで利口なアイデアなど出ないのと同じだ。まぁ利口も誰かと比べりゃバカだから、利口にだって幸せのアイデアはない。ネットにも本にもない。そんな簡単に情報になるようなら誰も悩まない。つまり人間の『考え』には幸せのアイデアなどないのだ。
さてそんな『思い』など放っとく。それが坐禅だ。これでイヤもイイもない。静かに坐禅ができる。
●探す
迷妄していると
腹立つ話を探す。
幸せな話を探す。
儲け話を探す。
でも話はほぼ戯言だ。
本物から離れてしまうだけだ。
絵描きで言うなら、いい絵は他所にはない。
外の誰かのどこかの絵を追ってもダメだ。
本物のいい絵は自分の内部に在る。
内部こそ宝の海。
探す必要などない。
*ちなみに探究心とは
「物事を見極めようとする心」です。
●年齢
SSが温泉プールにて
「27歳まで生きた猫飼ってたお爺さんに会ったよ」
へぇー! 長生きだね!
ジミ・ヘンも27歳で亡くなった。
けど短命だ。
猫なら3歳だ!
*うちの猫の今年の年齢
ヨゾ(黒):19歳
ピニャモ(三毛):12歳
チョコ(茶トラ):7歳
ちなみにSS:11歳
●自由
朝4時に起きて座禅をしている。
真冬も過ぎたせいか今朝はやけに眠い。
どれ、起きるかと思いながらも
ベッドから出る気がない。
ところで朝4時のルールに縛られることは不自由だ。
一般的には不自由を脱することが自由だ。
しかしルールがあるから自由を得られるということは
ルールが自由の根っこになっている。
これは自由と不自由は依存だと言うこと。
右があるから左があるようなものだ。
つまり自由も不自由も妄想だってことだ。
妄想から目を覚ますことが真の自由だ。
これら全てを納得し
目を覚まし
ベッドから出る。