●考える足
パスカルの『人は考える葦である』ではない。
ロダンの『考える人』は姿勢が悪い。
『下手な考え休むに似たり』
ブルース・リーは『考えるな、感じろ』と。
考えとはいい悪いや好き嫌いだ。
それを超えて瞑想の弥勒菩薩は知的で美しい。
坐禅は考えなどにこだわらない。
それか『人は考える足である』がいい。
『山路を登りながらこう考えた』by夏目漱石「草枕」
●考える足
パスカルの『人は考える葦である』ではない。
ロダンの『考える人』は姿勢が悪い。
『下手な考え休むに似たり』
ブルース・リーは『考えるな、感じろ』と。
考えとはいい悪いや好き嫌いだ。
それを超えて瞑想の弥勒菩薩は知的で美しい。
坐禅は考えなどにこだわらない。
それか『人は考える足である』がいい。
『山路を登りながらこう考えた』by夏目漱石「草枕」
●新個展:旅
今回の個展は自分にとってはかなり新しい試みだった。
ほぼ毎年村山市で個展をしているので、去年会場を探していた。ゲストハウス、カフェ、他人のアトリエなど面白いところはないかと尋ね回っていた。
そして元旦、いきなりゲストハウスで個展をやることに。思いついたら吉日、何も知らない持ち主のコメヤカタの女将奈緒ちゃんに連絡。旅行中で留守だけどOKをくれた。さすが器がでかい予定外を楽しめる女将だ。
時間に縛られないという無計画な試みは凄くよかった。またゲストハウスがギャラリーでないので空間に縛られない感覚でもあった。そして個展は作品を売る目的があるが、年始なので大量生産ものの本やグッズなどお年玉としてお客さんにあげた。これで金に縛られる展示会でもなくなった。
損して喜ぶ。リンクムラヤマとコメヤカタはタダで空間を使用させてくれた。お客さんはお金を遣う。個展だということで手土産を持ってくる知人たち。
得するが幸せではなく損することの方が幸せなのだ。何故ならマイナス思考は得することを考え、プラス思考は損ができる。プラス思考は幸せなのだ。感動や物をもらって得したあなたも知らない誰かに与え損して互いに幸せになればいい。
僕の本は人々に妄想から覚醒させようとして書いた内容。閉じた心を解放してもらおうとあげたのだ。読んで解れば覚醒する。例えば今回の損得についてなど、まさしく『得』が妄想なのだ。
こうやって自分の中の忙しない時間や狭苦しい空間、そして現実問題のお金の縛りを解放した。まるで他所の国を旅している気分だった。昔、インドやソウルなどのゲストハウスでゲリラ的に展示会をした過去が思い出された。そういった意味でもここゲストハウスは相応しい。
ゲストハウスの女将奈緒ちゃんありがとうでした。リンクムラヤマの担当者の寛大さにも感謝。お客さんも誰も彼も旅で出会った旅人。わざわざこれが目的で遠く県外から来てくれた人もいた。
いい旅であり楽しい新しい個展であった。
●世界
バックミンスター・フラーが考えた
ダイマクション地図のペリペリ。
この世界地図は陸の面積比率がかなり正確。
『上下』や『東西南北』がないのが実に美しい。
地球上の陸が全部繋がっていることもわかる。
人間は同じ地面の上にいて同じ海に囲まれ
同じ水を飲み同じ空気を吸っている。
水や空気は我らの身体なのだ。
それがなければ死ぬし、汚れれば具合が悪くなるからね。
自分の居る『ここ』だけが
家族だけが
仲間だけが
大丈夫であればいいという輩、
『ここ』を知っているのだろうか?
ここはここ、ここは村山市、ここは山形県、ここは日本、ここは世界…
●ここ
これは楽譜の絵。
この絵を目の前にした瞬間
「あんたがたどこさ♪」と音が観える。
さてあなたは今どこにいるのですか?
どこでもないここに居る筈なのに
頭の中はここにいない。
どこぞの政党だったり
どこかの組織だったり
どこかの偉い誰かだったり
未来の不安、お金だったり
過去の自慢や悔しさ、
僻み妬み怒りだったり、
あーしたいこーなりたい空想だったり
生のここをここ以外の妄想に占有させている。
最高の足元ここをよその幻に仕切らせるな!
あなたのここを誰にも汚させるな!
「あんたがたどこさ♪」
●デストピア
今回展示した作品『檻の中のサギ』
サギは近所にコロニーがあって結構いる。たまに目の前間近を飛ぶことがある。野生はかなり強烈だ。そういや野生では去年庭にニホンカモシカが来た。凄まじい存在感があり、見た僕は「すいませんでした」と謝ってしまった。野生の動物は人間のちっぽけさをまざまざと見せつけ巨大な宇宙を感じさせるからだ。ところがニホンカモシカを檻に入れてしまうとその動物の知識は分かるが、存在の素晴らしさを失う。知ればもうニホンカモシカなどどうでもよくなり、変わった珍しい動物を見たくなる。人間はなんでも檻の中(知識で縛る)に入れたがる。檻の中では生きた屍だ。屍の知識のために生の存在を殺す。
●個展最終日:居座り
いい感じに中間中道綱渡り個展が終わった。
実に楽しかった。
綱渡りを考えてみた。
これまで中道を綱渡りしてきたのは
給料取りになりたくなかったからだと思う。
給料という未来のお金が入る安心が
未知への冒険や真理探究をやめさせてしまう。
しかしその安心のために居座った場所だって
実は永遠の未来安心ではない。
だから人はそこへの執着、
居座り存続を考えるようになる。
それが政治家のキックバックや既得権益だろう。
自分の人生をそんな情けない人生にしたくはない。
嘘ついてまで居座る場所などない。
その場所はたまたまの場所なのだ。
その場所が自分だなんて勘違いしないで
立ち上がって綱を渡ろう。