2014年4月30日水曜日

[4472] 搬入

家から新幹線に乗るまでの15分が面倒だった。
 何か忘れ物をしているのではとか、猫は大丈夫だろうかとか、いつもと違ったいろんなことが気になる。普段は引き籠っていて滅多に外にでないので、身体の内部でこういう懐疑や拒否反応が起こり、気持ち悪くなるのだろう。
 吐きたくなる。動きたくなくなる。家に戻りたくなる。悪いこともしていないのに、何で僕だけが、こんな理不尽な目に遭わなければならないのだ! 何で連れ去られなければならないのだ! 何で強制的に戦場に送られるのだ! わざわざ言葉で人を憎むように仕向けられ、敵を作らされ、何故に悲劇のまっただ中に送り込まれるのだ! イヤだー!
 電車乗ったらすぐに楽しくなり、ビールなんか飲んじゃったりして、谷中に到着。展示会場作り。なかなかいい感じ。フンだ。
 明日から「もりわじん個展『道化』」始まります。よろしくね。

2014年4月29日火曜日

[4471] ヤッター

写真は庭のユキヤナギ(左)とあまり他所では見かけないピンクユキヤナギ(右)です。
 今日は作品の梱包、そして送り。やっと終わったぞ。
 明日から東京、明後日から個展、ガハハ、すごく楽しみじゃ!
 夕方から留守番してくれる若者に留守事項を伝える。
 まずは猫のエサとうんこ、ゲロについて。庭や家の中の鉢植えの水やり。池への水と酸素補給のやり方。金魚やメダカへの餌やり。粘土制作についてのあれこれ。その他諸々。
 あとは禁止事項、ワシのベッドでのHは禁止。庭でのレゲエパーティも禁止。キャンプファイヤーももちろん禁止。家の中でのロックフェスもカレーパーティも禁止。
 あんまり禁止事項が多いのもなんだから、風呂場でのオナニーだけオーケーってことで、どう?
「ヤッター!」

2014年4月28日月曜日

[4470] あたま


世界には戦争、テロ、エネルギー問題、食料危機など面倒な問題がたくさんある。これらの問題を何世紀もの間、なぜ誰も解決できないかを考えてみた。
 政治家は組織の宣伝ばかり。科学者は心を忘れ、宗教家は他所向いて、経済学者は人間不在、数学者は引き蘢り、芸術家は独りよがり。他はみんな評論家。共通なのはみんなお金が大好き。これではどんなに素晴らしい頭の持ち主でも解決できないのは、当然だろう。
 そこで思った。これは世界中のみんなの頭が狂っているんだ、と。
 だから最低限、誰かの頭に、自分の命を任しちゃダメだよ。
 あタマ、冷やそうぜ。

(玉の下にいるのは雪ダルマです)

2014年4月27日日曜日

[4469] 爺婆

「もりわじんさんの個展会場はどこですか〜〜?」
  爺婆が行列でやって来る。
 まるでブリューゲルの『盲人の寓話』だ。
「マタイ伝:盲人が同じ盲人を導くことによって、ついにはみんな穴へ落ちてしまう」
 みなさん、引っ張ってゆこうとする偉い人には慎重にね。

2014年4月26日土曜日

[4468] 幸福感2

薪が崩れた!

 昨日の話しの続きで言うなら、普通ならこの忙しい時期に面倒くさいということで『苦痛』だ。ところが庭好きのワシにとって、これは幸福感だ。大汗かいて半分だけ積み直して風呂入ってボーッと桜を見る。けっこうエクスタシー。
 薪を上手に積める人なら今度の冬まで崩れることもないけど、その人にとって、途中で崩れることは苦痛だ。ところがワシの場合は、最初から崩れることが前提に積んでいる。わざと崩したいわけではなく、単にいい加減。だいたい人間がやることに100%確実なんてのはない。もちろん100%安全なんてのもない。原発にしろ飛行機にしろ100%安全なんてことはない。人間の科学をかなり信じて99%安全だとする。それはイコール『100%安全ではない』と言うことだ。自然は壊れるように朽ちるように崩れるようにできている。猫だって恋人だってそのうち亡くなるんだ。お金だって無くなる。死ぬ気で生きるって、頑張って無理することではなく、こんな意識のことかもしれないよ。

2014年4月25日金曜日

[4467] 幸福感

午前は庭のハルジオンを適当に取る。
 春の朝ってのは、時空の境をなくし、精神を異国や子供の頃の空気感に誘い、幸福感を味わわせてくれる。
 他所の建てたばっかりの家などを見ると、家も庭もほぼ完全に雑誌にあるようなものになっている。あれはツマラナイ。家も庭も生きている感じがしない。こういうのを求める心を『快楽』っていうんだと思う。なぜならその家や庭の絵が崩れることに『苦痛』を感じるからだ。『快楽』と『苦痛』はコインの表裏だからね。
 自然というのは人間が作った止めておきたい風景をどんどん朽ちらせる。うちの庭を見ても芝生は沈下し、手すりの鉄は錆び、壁は色が褪せている。虫がコンクリートの隙間から家の中にまで入ってくる。朽ちるのが苦痛だから人間は自然から分離しようと自然と闘う。ところが自然と人間は分離などできない。人間は自然という池の中の金魚みたいなものだからだ。外も身体の内部も隅々まで自然に満ち満ちている。
 『快楽』というものは『幸福感』とはほど遠いものだと思った。

2014年4月24日木曜日

[4466] ギシギシ

午前、庭の草取り。
 去年はギシギシという雑草が庭に蔓延った。「この雑草は採っても採っても根っこが少しでもあればまた出てきて除草剤を使うしかない」みたいなことを聞いた。除草剤は嫌いだから、なんとなく移植ベラで採っていた。なんと! 今年はその草がほとんど見当たらない。無くなるじゃん! そこでこう推察した。
 除草剤薬会社「心優しい素朴なお百姓さん方よ、広い畑のこづげだな雑草を手で取っていては、んつころ手間どんべ。手では雑草は取り尽くせないんだ。この薬はアメリカから来たスゴイもんだ」と宣伝。「んだんだ。アメリカ様なら間違いなえ」。それが広まってお百姓も一般人も雑草は除草剤を使うしかないとなり、あだな定説になった。んねべが?
 庭を見ればギシギシはなく、今年はハルジオンが蔓延っているけどね。