2021年1月31日日曜日

[7339] 大工さん

 ●大工さん

 雪掻き後、温泉に行く。日曜だから混んでいた。おじいさんに声をかけられた。誰ですか? と聞いたら、僕が18か19歳の時に父親に言われて茶室の設計をした。その時の大工さんだった。あの頃の大工さんは髪の毛が黒々でがたいのいい兄さんだった。それ以来会ってないから40年以上経っている。今は頭髪もパラパラで白髪、わかるわけがない。よく、僕がわかったものだ。

 当時、僕は東京の大学で建築を学んでいたが、まだ入ったばっかりだし、建築の勉強などまったくしてない。それに建築に興味もなかった。実は大学にも興味がなかった。実家の前の家の一つ年上の先輩がそこの大学に行ったから、就職はしたくなかったので自分もその大学を受けただけなのだ。思い返せば、まったく何にも興味のない子だったのだ。多分父親はこのやる気の全くない子に喝を入れたかったのかもしれない。しかし建築などどうでもいいのだから、しょうがない適当な茶室設計だった。

 大工さんに歳を聞いたら74歳、僕より11歳上だった。ということは当時、大工さんは30歳ぐらいだ。話ぶりから今の僕のことを11歳下とは思ってなく、大工さんにとっての僕はあの当時からそれほど年取ってない若者のようだ。

 大学卒業後、建築家になるのはやめて、絵描きの方が自由そうなので絵描きを目指した。東京のアパートにはどんどん絵が増えて置けなくなった絵を山形にたくさん送った。その絵の中の一つを父親が大工さんにあげたようだ。すごく大事にしていると言っていた。死ぬまで大事にするとも言っていた。自分の絵を探求していた頃の絵でたいした絵ではない。でも嬉しかった。

 ふと思った。絵ってこういうものでもあるんだなと、社会での絵の役割の新しい一面を垣間見た気がした。非常に清々しい気分になった。

写真:昔を見返る猫



2021年1月30日土曜日

[7338] 転換

 ●転換

いろんな意味での転換。

東京にあった作品の引越し。

生憎の雪で

トラックが

近くまで入れない。

道の途中から

軽トラに積んで

三往復も荷積み荷卸し。

いい汗かいた

ついでに雪掻き

6000歩。

このぐらいの運動が

ちょうどいい。

気分爽快。



2021年1月29日金曜日

[7337] 宮沢賢治

 ●宮沢賢治

宮沢賢治は昨日のゴッホと

似ていると思う。

二人ともキリストと日蓮だけど、

意識が宗教的で、

37歳で亡くなっている。

ついでにお釈迦様は

38歳あたりで悟っている。

このことは我が小説

『自由自在堂』に詳しく書いた。

まあ興味のある方は

読んでくだされ。

写真:宮沢賢治猫



2021年1月28日木曜日

[7336] 当たり前

 ●当たり前

 最上川を見ていたら、やけに小さな白鳥がいる? よく見たら鳥の形をした雪の塊だった。鳥のフリして下流に流れていった。そのうち川とともになって消えるだろう。

 自分もこの雪鳥のように歳と共に変化し流れている。猫のマッピョは洟垂れになった。これが当たり前になって日常になった。イゴは痩せて背骨がゴジラになった。これが日常になった。母親が入院した。これが日常になった。こうやってなかったことが現れて日常になる。これからもまた違う変化がやってきて日常になる。

 しかしその新しい日常も流れていって日常でなくなる。当たり前だったことが当たり前でなくなるのだ。やはり何もかも変化しながら流れる。これで常がない無常であることは分かった。当たり前がないのが当たり前なのだ。だから日常が変わったぐらいで思い悩むことはないはずなのに、人間は日常を常だと思い込んで無常を思い煩う。

 ふと思う。当たり前などないのに、わざわざ当たり前のように助けてくれている人に対して感謝するのは当たり前だ。でも最も感謝すべきは、過去の当たり前にしてくれていた人や環境に対してだろう。例えばこの世にいなくなった親や知人、会わなくなった友人、来なくなったお客さんなど。亡くなった親やペットには手を合わせるぐらいしかできないが、生きている友人・知人・風景・環境、それらは当たり前でない日常を当たり前のように大変楽しくしてくれたり、何事もないように周りを整えてくれたり、いい刺激を与えてくれたり、退屈や苦しみを取り除いてくれたりしたのだ。

 今は、自分から離れた当たり前にしてくれていた人やあらゆることに、どうにかして感謝を示したい。ここに幸福とかなんやらのヒントがあるように思う。

写真:ゴッホ猫





2021年1月27日水曜日

[7335] テルミ

 ●テルミ

「小島さん、元気かなぁ」

と思いながら

木工作家小島伸さんから頂いた

秘伝のテルミ行



2021年1月26日火曜日

[7334] 明日の天気

 ●明日の天気

思考は固定化しやすい。

人はそれに気づかない。

自分の固定した

思考を膨らますために

ネットから言葉をいくら集めても

その人の成長には

おおよそ無関係だと思う。

それにネットの言葉は真理からほど遠い。

まずは

話し相手に悪意がない限り

どんな人の

どんな意見にも

対応できるくらいの

柔軟性のある

融和を育てることだろう。

思考の固定や停止を避け

日々子供のように

学ぶことだと思う。

あなたの明日の天気さえ

あなた自身では決められないのだから。



2021年1月25日月曜日

[7333] 木

 ●木

 人は社会や環境が変われば、自分は変われると思っている。でもこれを自ら実行するのは自分が自分の今を変えるという決意が初めにある。だから変えるのは外面の社会より自分の内面が先である。

 この社会に不満を持ち、社会変革とか革命とかを考える。人の思考というものは自分の劣等感や趣向が底辺にあるから、自分の好き嫌い、または自分の立場を守るような自分に都合のいいような情報を集める。よく直感的にと言うが、ほとんどの人の直感そのものは自分に都合がいいようにできている。だから偏っている。

 そもそも根本的な間違いは自分が社会を二つに分けて考えていることだ。あっちとこっちに。つまり問題は自分の内面が分断している。外面ではなく自分の内面に問題があることに気づいていない。分断した考えでは、その結果も分断する。葛藤しているのである。葛藤はエネルギーが湧き上がるモチベーションになり得るがエネルギーの浪費である。全面的に一つのことに集中したほうがエネルギーの使い方としては無駄がなく創造が増す。

 社会を二分する考えが季節の夏と冬なら、その分け方は表面上だけで、夏と冬は二分されておらず美しく繋がっているのが真実だ。木々はそれを知って成長する。季節だけでなく、根である暗い地下も花開く明るい地上も知っている。

 思うのは、人間は一人一人、できることなら一本の木を育てることから始めることだ。あなたより命が短い犬や猫と同時に、あなたより長生きする木を育ててみることだ。希望とは木望だと思う。