自分の思考など遥かに超えたものが『アラユルコト』だ。
インドにはサンスクリット語なる一般語とは異なる言葉がある。梵語と呼ばれるものだ。これが『アラユルコト』からやってきた言語だ。例えば「死」を「涅槃」と言ったりする。同じものを主観からの言葉と客観のアラユルコトからの言葉で表現する。当然意味は違う。こんな言語を作ったのにはそれ相当のわけがある筈だ。ところで人間の思考はほぼ主観なのでアラユルコトヲ理解できない。人間は本物を見ているかのようで鏡を見ているようなものなのだ。理解できないのに多くの言葉を吐くのは、鏡のような池の水を掻き回すことになる。それではますますアラユルコトが見えなくなる。見えないと人は怖がる。掻き回さずに池の奥深くまで「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」観察することだ。
まあとりあえず『雨にまけるわけがない』を手に取って静かに観察してゆこう。
0 件のコメント:
コメントを投稿