2020年2月24日月曜日

[6997] 社会

●社会
社会を支配層を中心に考えると、人口の何十%は親分の手下で、親分に媚びて自由をもらおうとしている。そもそも貰った自由など自由でない、自由は配給じゃないし、物でもない。そんな自由は大した喜びもない。そして人口の半分ぐらいは手下の檻の中にいる羊や馬や牛や鶏である。檻の中だから自由などない。諦めている。だから惨めだ。嘆いている。こんな呪縛から解放されようと中心と戦う人々。それ以外に僅かだが目覚める人間がいる。こういう人が多くなればいい。だから大衆に目覚める動機を植え付けることが大切だ。枯れた山に植林するようなものだ。植えられた木は自由に伸び種を飛ばすだろう。
 さて社会を先程のできあがったものとしてではなく、今はただの乱暴な猿山、まだできてない、これからできるものとして考える。
 人間はぐっすり眠り、朝に目が覚める。目覚めた人間にとっては、今日は新しい日だ。自分の周りにあるこの空間は自由極まりない広大な大地で、面白い家を建てることもできるし、木を植えることもできるし、旨い野菜を育てることもできるし、犬猫は飼えるし、酒は作れるし、ラブもできるし、仲間集めてプロジェクトもできる。これらの行動に失敗という概念はない。それらは全て新しい経験であり、なにはともあれ何が起ころうと自由だ。失敗があるのは先の猿山だ。さあ、進むぞ。そしていつの間にか後ろに社会ができている。

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