2025年8月29日金曜日

[8907] ×

 ●×
『×』は「掛け算」の記号。
算数では何かに0をかけると0になる。
では下らん争いには0をかけるのがいい。
愛とか正義とか平和とかをかけちゃダメだよ。
0ってのは「物語を作らない」とかさ。





2025年8月28日木曜日

[8906] 生きる

 ●生きる
 黒澤明『生きる』のイギリス版を見た。志村喬さんを自分の絵にしたぐらいだから好きな映画だ。イギリス版の主人公は年取り過ぎだね。50代でないとな。でも感動ものでした。
 黒澤明の映画に『羅生門』がある。人の話は全部信じられないような中身だ。ならば世間のテーゼもアンチテーゼも鵜呑みにしない事だろう。
 人の言動は全て利己的だ。愛とか幸福とかなんやかんやの作り話を欲しがる。欲しがるのも欲しがらせるのも自分に無いからだ。無い奴がいくら言ってもそれは嘘だろう。全ては己の利益、利己だ。気づくとはそのことで社会の何かしらではない。
 ところで自利は自分の利益ではない。利己に似ているが正反対だ。同じなら自利ではなく利自になる。愛とか幸福とかなんやかんや、これら生まれた後に聞いた濁った作り話を心から取り除くのが自利だ。そしてそんな作り話を人の心から取り除いてやるのが利他だ。生きるとは公園を作った市民課長(志村喬)のように濁りなき心ですね。





2025年8月27日水曜日

[8905] 無才

 ●無才
 若い頃、無才を探った。才能がないのがいい。才能とは無才の一部で狭い。無才こそ全てだ。才能があればそれに溺れる。お金を稼ぐ。稼ぎがなくなるのが不安になる。もっと稼ぐ。こうやってお金に縛られる。ますます狭くなる。これは広大な自然体ではない。自然体なら無才で生きていける。猫はあるがまま無才のままで生きている。自然はそのようにできている。自然は賢しらな人工を超えている。人間は自然を無視し人工の作り話を信じ、わざわざ狭いところに入る。
 ある時、無才から飯の種の才能の芽が出た。この才は無才の一部、これを所有すれば無才が失われ狭い才に縛られてしまう。そこで家やらなんやら全てを広大な仏のものにした。






2025年8月26日火曜日

[8904] 酸いも

●酸いも
「楽しめばいい」はほぼほぼ利己的だ
楽しんでいれば『楽しめない』が嫉妬するからだ
『楽しめない』を差別してはいけない
『酸いも甘いも』という言葉がある
『楽しむ』が甘いなら『楽しめない』が酸いだろう
甘いものばかりでは糖尿だ
『楽しめない』を楽しむ
歳取ればコーヒーなら酸味
酸っぱい食べ物
酸っぱい加齢臭を放散する
シミキズボロに纏われ
枯葉になる
『裏を見せ表を見せて散る紅葉』by良寛
これで己の紅葉を楽しめる





2025年8月25日月曜日

[8903] 体験

 ●体験
村祭りの日、庭でパーティ。
小太りになった女が
「わじんさんの絵日記が難しくてわからない」と言う。
そりゃそうだ、真理は頭でわかるわけがない。
わかるようなものはでっち上げだ。
本当に本当のことは妄想ではない。
一行一行、頭の妄想や差別を取り除いて読めばいいのだ。
一行一行、初めての山道を一歩一歩歩く体験なのだから。





2025年8月24日日曜日

[8902] 穴

 ●穴
昨日の穴はスマホの画面のことね。
電源が入っていなければ、
ただの小さな黒い画面だ。
庭でできたモグラの穴みたいなもの。
見ても気にしなければただの庭の穴。
でも気にして執着し見てしまえば、
庭中が穴だらけで、こればまずい。
まずいまずいと気になって
庭が庭でなくなる。
こうやってなんでもない穴が
いつの間にか人生の落とし穴になる。
穴はいろんな穴があるが
穴がまずいのではなく
まずいのはあなたの執着。





2025年8月23日土曜日

[8901] 現実

 ●現実
子供の頃、テレビを見て笑っていたら、父親に
「人に笑わされて、バカだなぁ、騙されてんだよ」と。
今はテレビだけでなくネットを見て騙されている。
これが現実だと現実に騙されている。
穴を見ながら穴に穴を掘っている。
穴から出てくるおばけを誘っている。
あなかしこ。




2025年8月22日金曜日

[8900] あるないある

 ●あるないある
水平線はあるようでない
水平線に向かって歩いても
永遠にそれに辿り着くことはないからだ
だから人は上下に翻弄する
しかし歩き続ければそこは上下の中道だ
凸凹しているけどそれが水平線だ
水平線はないようである
歩けばね
私の場合は取り敢えず坐る
そして制作





2025年8月21日木曜日

[8899] 展示会案内in伊勢

●伊勢の展示会案内
 不幸自慢。わたし不幸だったの。オレはかなり不幸だ。あたしなんかもっと不幸よ。事故にあった。苦しんだ。騙された。金強請られた。貧乏になった。ここまではよく知れた不幸。最も不幸なのは幸福自慢。なぜなら偉そうに高慢になって心の豊かさを失ったから不幸なのだ。
「人間万事塞翁馬 推枕軒中聴雨眠」by晦機和尚。(幸も不幸もない、雨の音聴いて寝る)





2025年8月20日水曜日

[8898] 無限ループ

 ●無限ループ
この世は神が創ったならその神を創った神がいる。その神を創った神を創った神がいる‥‥悪魔ならその悪魔を創った悪魔がいる。その悪魔を創った悪魔を創った悪魔がいる‥‥宇宙人ならその宇宙人より賢い宇宙人がいる。そのまた賢い宇宙人がいる‥‥宇宙の始まりがあるなら始まりの前がある。その前の前がある‥‥話に酔う人々がいる。その話を作った神や悪魔が酔っている。その神や悪魔が酔う話がある。その話を作った‥‥地球は『星の王子様』の酒飲みの星みたい。






2025年8月19日火曜日

[8897] 自虐史観

 ●自虐史観
この社会はどこを見ても二元論だ。
「オレが悪かった」が自虐史観で
「いやオレが正しかった」が自虐史観脱却だ。
冷静な単語にすると
「マイナス」と「プラス」だ。
自分を眺める。
右手と左手はなんの取引きがなく協働して猫を作る。
この時、自分はプラスもマイナスもないゼロの状態だ。
ゼロなのに招き猫が生まれる。
これはとてもいい例だ。
プラスとマイナスではなくゼロが生む。





 

2025年8月18日月曜日

[8896] 意識と心

 ●意識と心
 昨日の日記のタイトルを『大きい心』にしようか『大きい意識』にしようか迷った。意識の方が科学的だし、心は随分前に主役を降りた。でも坐禅と同じで深い。
 意識の底には無意識がある。学問は自分をよそに置いて意識を地層のように客観視する。ところが『心』には『無心』はあるが、それは無意識ではない。無心は無我夢中の状態や心無い無慈悲にも使う。「心など無い。あるならここに出せ」という禅問答だってある。それに心は思考のマインドでも優しいハートでもある。心経に色即是空とあるからにはそう易々と言葉に変換はできない。だから流動性があって固まった地層ではない。喩えれば川のようなものだ。地層が『大きい意識』、川が『大きい心』だろう。





2025年8月17日日曜日

[8895] 大きな心

 ●大きな心
 随分前に「今度は森さんが農業の回覧板の担当です。2年間お願いします」と知らないおじさんから箱詰め素麺を渡された。なぜに農家でもない私が農業の色々を配る担当に? 見ず知らずの人の個展のチラシを配る担当を任されたような。そこで素麺を返し断った。しかしおじさんは「これまでのルールだから」と当然のような顔をする。しょうがないので村の会長にこのことを話し最終的には担当はなくなった。
 昨日、田んぼを歩いていて、ふとなぜに担当を任されたかが腑に落ちた。
 私は農家ではないが農産物で生かされている。他がなくても生きるが食い物がなければ死んでしまう。多くの農家さんに生かされている。農業を単なる他人の職業として見ていたようだ。農家は私たちの代わりに田畑を耕し食料を生産してくれている。そんな当たり前の大きな心を忘れてしまったのだ。他の職業も何もかもをバラバラにして、それぞれを小さな自分主義として見てしまっていたようだ。
 大きな心で自分の仕事を考察してみた。私は家と庭を設計し農業を営むように定住し、米のような招き猫や様々な造形や絵などの珍しい野菜を生産している。手頃な野菜から高価な野菜まで色とりどりを発表する収穫祭『来る福猫祭り』を毎年9月に全国で催している。またペリペリやムガノガといういう新しい種子を育てたり、心豊かに生きる指針の本も執筆し、叡智の坐禅を勧めている。
 私はネズミから穀物や仏典を守った猫になって日夜精進しているみたい。