●あー君
my両親曰く。私は幼児期一切言葉を発しなかった。一般的な子は立ったをしているのに私は立たなかった。両親は私をあー君だと思った。
昨日の北海道の彼はあー君の先生をしている。私のファンには他にもあー君の先生がいる。昔、世田谷線に乗っていると向こうの車両から私を見つけたあー君がニコニコ近づいてきた。羽根木の施設の前などの道を歩いていると施設の中のあー君が私に手を振った。画材屋に行けばあー君が話しかけてきた。どこぞの駅のホームのベンチにあー君とあーちゃんが座っていた。あー君が悩んで沈んでいた。あーちゃんは「大丈夫、大丈夫」と何度もあー君の肩をさすっていた。私は笑っってしまったが、ふと、そうか大丈夫なんだと気づいた。当然彼らは無量無辺の仏の家にいる。
あー君のことを知的障害者と言う。そこで世間的一般人が高慢にも『害』を『がい』に変更して自分の狭い領域に入れ込んだ。上目線の教育者とかコーチングとは内なるアー君を排除し家畜のような囲いの中の集団一般人にすることだろう。私があー君なら、一般人になりたいわけではなく、みんながあー君であることに気づかせる。よくよく見れば、みんなあー君だからだ。だってみんな「大丈夫」って言われたいのだ。
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