2022年12月7日水曜日

[8013] 冬支度終了

 ●冬支度終了

残りの薪割りも終え、

庭のライトも撤去し、

冬支度全て終了。

ところでやっぱ坐禅はいい。

藤原画伯は坐禅用座布団を買ったらしい。

この間の矢萩陶芸家も坐禅に興味を持った。

最近数人が座禅に興味持ち始めている。

浮き沈みの思考や左右の揺れや明暗の迷いなど

全て解けて去ってしまう。

坐禅という基本を知るからです。






2022年12月6日火曜日

[8012] 展示会『日々福』案内

●展覧会『日々福』案内


『日々福』366体展示します。

◎めでたづくし×百段階段

期間:2023年1月1日〜3月12日(日)

*休館日:1月30日(月)、1月31日(火)

場所:ホテル雅叙園東京 百段階段

https://www.hotelgajoen-tokyo.com/100event/medetazukushi

制作期間5ヶ月、今年最大の仕事でした。

万年カレンダー作品集になりました。

よろしくお願いいたします。

 これが完成して昔のことが過った。大作『猫神様』を発表してのち、坂東さんに「猫神様を超えるもの」が見たいと言われ、大いに悩み、思考が前にも後ろにも働かなくなり、苛立ったことがある。一生懸命考えて猫神様を超えようと違った大作を作った。それ以外にもいろいろ作った。その都度猫神様を超えた作品だと思うのだが、やはり質問の答えになっていない。なぜなら超えたら終わりではなく、「それをまた超えるもの」という課題が永遠に続くからだ。質問の答えは永遠に決着つかない。その問いは永遠に消えないのだ! 最終的には歳を取り「超えられなかった」という答えしかなくなる。それは不愉快だし不満だ。これは底なしの泥沼のような問答だ。

 さてこの泥沼の問答だけど、やっと解けた。今回の『日々福』だ。これは猫神様のような特別なものでもそれを超えるものでもない。僕にとっては日常でごく自然なものだ。どこか遠くに神はいなかったのだ。




 

2022年12月5日月曜日

[8011] カミキリムシ

 ●カミキリムシ

木材をもらったので

薪割り復活。

ガソリン薪割り機が大活躍でした。

それにしても

シロスジカミキリムシの幼虫のデカさ、

そして初めて発見、成虫もデカい。






2022年12月4日日曜日

[8010] 新しい絵

 ●新しい絵

座禅していて、

活力が出てきそうな新しい絵が降ってきた。

前に描いた作風で、ペリペリの剥ぐ、ナイフの傷、

滲みや染み、そしてその反対の弾き。

これらの行為にはほとんど作為が入らない。

なのに一瞬一瞬、感覚が研ぎ澄まされる。

これって坐禅だね!

タイトルを『座禅』にしようかしら。

まずはペリッと剥いだ。





2022年12月3日土曜日

[8009] ヒーラーとファイター

 ●ヒーラーとファイター

初めて会った感じのいい青年

職業は?

「ヒーラーです」

ヒーラーは癒し人

ファイターは戦う人

人間の内面の二つの性質なのか?

フロイトは『エロスとタナトス』

宮沢賢治は『春と修羅』






2022年12月2日金曜日

[8008] 言論の自由

 ●言論の自由

 『言論の自由』という言葉があるけど「悪口や差別、何を言ってもいい」と理解してしまいがちだ。それは自由そのものを勘違いしていると思う。僕は『自由自在堂』と言う小説書いたから、少しは自由について掘り下げたつもりだ。

 自由が身についた者なら悪口など吐かないと思う。なぜなら悪口を言われる自由も持っているからだ。わざわざ自分に悪口を言う必要はない。裏を返せば殊更に自分を褒めるようなものと同じで、それは自惚れだ。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の「褒められもせず苦にもされず」とあるのは、自分で自分を褒めもしなければ苦にもしない。つまり自惚れないし落ち込まない、平常心でいると言うことだと思う。悪口など言っていたら心煩わしくなって平常心でなくなる。坐禅では平常心が養われる。そこは自由の境地だ。だから「自由の者は悪口を吐かない」になる。自由になりたい者が悪口を吐くのであって、今、その者は自由でない。唯、甘えていい気になっているだけだ。つまり「悪口は自由ではない言葉」なのだ。

 ふと浮かんだ、下記。

「オレオレオレって、オマエは」

「オマエオマエオマエって、オレは」

「偽物偽物偽物って、本物は」

「本物本物本物って、偽物は」

「バカバカバカって、小利口は」

「利口利口利口って、小バカは」






2022年12月1日木曜日

[8007] 本元

 ●本元

『わ』の中には全部含まれている。

否定も肯定も善も悪も。

『わ』を心底願って生きていれば、

否定されようが肯定されようがどうでもいい。

良いことなどする必要はない。

悪いことももちろんすることはない。

分断した何かが『わ』ではなく、

分断した全ての本元が『わ』だからだ。

分断した人の思考では及びもつかない。

座禅もそうだが、

あっちこっち超えて『わ』が全て整えてくれる。

『わ』をしてればいいのだ。

それは二元に気付けばいい。