2022年12月2日金曜日

[8008] 言論の自由

 ●言論の自由

 『言論の自由』という言葉があるけど「悪口や差別、何を言ってもいい」と理解してしまいがちだ。それは自由そのものを勘違いしていると思う。僕は『自由自在堂』と言う小説書いたから、少しは自由について掘り下げたつもりだ。

 自由が身についた者なら悪口など吐かないと思う。なぜなら悪口を言われる自由も持っているからだ。わざわざ自分に悪口を言う必要はない。裏を返せば殊更に自分を褒めるようなものと同じで、それは自惚れだ。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の「褒められもせず苦にもされず」とあるのは、自分で自分を褒めもしなければ苦にもしない。つまり自惚れないし落ち込まない、平常心でいると言うことだと思う。悪口など言っていたら心煩わしくなって平常心でなくなる。坐禅では平常心が養われる。そこは自由の境地だ。だから「自由の者は悪口を吐かない」になる。自由になりたい者が悪口を吐くのであって、今、その者は自由でない。唯、甘えていい気になっているだけだ。つまり「悪口は自由ではない言葉」なのだ。

 ふと浮かんだ、下記。

「オレオレオレって、オマエは」

「オマエオマエオマエって、オレは」

「偽物偽物偽物って、本物は」

「本物本物本物って、偽物は」

「バカバカバカって、小利口は」

「利口利口利口って、小バカは」






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