2019年9月20日金曜日

[6841] 飛ぶ鳥跡を濁さず

●飛ぶ鳥跡を濁さず
最上川芸術祭の参加者の作品写真が次々届いた。みんな最上川をテーマに作品制作などしたことないから、新鮮味があって面白い。ポスターにみんなの作品を載せ原稿を作った。思った以上にいい感じの絵柄の原稿ができたと思う。これだけ多くの作家の作品写真があるのだから、ポスターだって大きくしないと一人一人が目立たない。予算内でやれば問題はない。多少アップしても、高が知れている。ところがどっこい鳩のフン。館長はそれができないと言う。唖然! 館長たるもの作家たちを目立たせ応援するものだろう! 呆れちまったさ。
 館長はなぜにそこまで頑ななのだろうと考えてみた。たぶん社会のあらゆる分野で、世代交代や変化の時期は既成概念がもろくなり、既得権益が叩かれ、当たり前と思っていた常識やマナーが破壊され、これまでの安定がぐらつく。安定側にいる人間はなにかと精神が難儀なのだと思う。ここだけでなく大きな社会でも変化の時代に入っているように感じる。極小の社会の家庭の場合、90近いワシの母親も家庭をもう仕切れてないのに何かと仕切りたがる。それで子供や姪っ子らから疎まれる。館長はそこまで年老いてはいないが、美術館運営などはマンネリ化している方が気は楽だ。保守的で自己保身にならざるを得ない。しかし歴史を見てもそれはない。諸行無常だ。またこれまでポスターの大きいのをやったことがないというけど、それは印刷所がやること。そんな電話一本で済むことをしたくないのは、それをしてしまったら、デンと居座っていた真下慶治以上のものができてしまい、館長は仕切れないし、真下慶治が小さくなってしまうことに不安なのだろう。世代交代が始まっているのだろう。しかし館長の頑なさは傲慢さが際立ち、当然のごとく謙虚さを失い、却って真下慶治が小者に成り下がってしまう。己の立場を自ら不安定にしている。本末転倒だと思う。これが社会が変化に対応する難しさのような気がした。だからこんな言葉があるのだと思う。『飛ぶ鳥跡を濁さず』。そう思ったさ。


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