2020年3月6日金曜日

[7008] ムーンウォーク

●ムーンウォーク
先生「生徒のみなさん、マスクを使い捨てしないとマスク工場が倒産します。みんながもったいない感覚に目覚めると社会が停滞します。使い捨て文化は大事なのです。マスクを洗って使うような人間をケチと言います。不潔で貧乏な人たちです。使い捨て運動を推し進めましょう!」
子供A「あたしはマスクは一回使ったら捨てまーす」
子供B 「僕はもっと清潔です。朝・昼・晩とマスクを捨ててます」
先生「みんな、社会に貢献してますね」
子供C「先生、僕はトイレットペーパーを1ロール1回で使い切ります」
子供達「わーーー、すごーーい!」
先生「えらい! 明日は『武器工場のための武器の使い捨て』の勉強をします」
 昔、靴下を一回履いたら捨てる奴がいた。洗って履くということが貧乏臭く、アメリカ流に使い捨てできる自分をカッコ良いと思っていたようだ。そいつは靴下を使い捨てできるほど裕福だった。頭が貧乏臭いことに気づいてないだけだ。
 ところで問題は大衆だ。もはや社会に頼りきりの家畜化へ向かってまっしぐらに進んでいる。この社会を維持するために国民が一丸となって使い捨て文化に貢献している。一丸などは全体主義のようなもので、まったく個人が見えない。つまり人間も使い捨てなのだ。まずは自分を守ることが先決だ。しかし守り方が他人の分まで奪うのは卑しいだろう。なんでも使い捨てしながら、給料が安い、物が高い、消費税が家計を圧迫しているとほざくのはおかしい。他にも自己防衛があるだろう。マスクが欲しいのでマスクを買うわけだが、買うにはお金が必要だ。その余分のお金を稼ぐには余分に仕事をしなければいけない。つまりこんなのが積もれば余分の仕事量と余分の金のために、余裕がなくなり切羽詰まってゆくことになる。これはストレスが溜まり免疫力が低下しウィルスへの抵抗力が落ちることになる。マイナスな循環だ。自分で自分の首を絞めているのだ。マスクなんか洗えば何度でも使える。そうすれば金もかからないし、余計な仕事をしなくていいし、安心がある。社会の大きな循環も大切だが、個人の循環こそ大事だ。もったいないから使い回すという感覚が大事だ。ものがない状況で生き延びようとするサバイバル感覚が必要だ。我足るを知るが大事だ。
 ある哲学者が「服は恥ずかしいから着るのではなく、服を着ることが当たり前に感じられるようになって、服を着てない方が不自然に思われるようになった」と。つまり服を着たから羞恥心が生まれたわけだ。これと同じように使い捨てが蔓延して、マスクを洗って使い回すことが不自然になってしまった。使い回すことが恥になったのだ。
 現代人はこのような本末転倒だらけの中で生活している。だから時に当たり前のことを言っても驚くほど通じないし嫌われたりする。うまく当たり前が認知されたら、コペルニクス的転回や逆転の発想などと呼ばれ、天才や神対応などとさもすごいことやったように思われる、当たり前のことなのに。
 右倣えの社会人になって集団自殺する前に、どんな状況でも何もなくても友達がいなくてもサバイバルできる知恵を身につけることだ。上や社会に頼らない知恵だ。昨今は社会の『使い捨て』ばかりで、個人の『使い回し』の感覚が劣っている。例えばムーンウォークのように前に進んでいるように見せかけて後ろに進む感覚が必要なのだ。
 あなたが子を持つ親なら、社会に流され溺れることのないムーンウォークができる子に育てよう。

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