●猫は天才
石川啄木は「雲は天才である」と言った。
空を見たら、なーんだ天才は猫じゃん。
猫は一日16時間寝る。ある種の人間は一日3時間寝て、あとの時間は知識を蓄え何かを達成しようと突き進む。何のためかと言えば幸せを掴むためらしい。
ところで猫の寝顔を見ていて思うのは全然不幸じゃない、もうすでに幸せを掴んでいる。
猫は何のために寝るのか? 何のために生きているのか? などと考えない。
わからないものが考える。
でも寝りゃイイってものでもないだろう。
●猫は天才
石川啄木は「雲は天才である」と言った。
空を見たら、なーんだ天才は猫じゃん。
猫は一日16時間寝る。ある種の人間は一日3時間寝て、あとの時間は知識を蓄え何かを達成しようと突き進む。何のためかと言えば幸せを掴むためらしい。
ところで猫の寝顔を見ていて思うのは全然不幸じゃない、もうすでに幸せを掴んでいる。
猫は何のために寝るのか? 何のために生きているのか? などと考えない。
わからないものが考える。
でも寝りゃイイってものでもないだろう。
●楯岡のサブちゃん
大久保の新宿に飲み屋『もつ平』ができた。大久保だし新宿だし妙な地域だ。店長27歳。神奈川で医学療法士という仕事についていたが辞めてここでもつ屋をやり始めたのだ。なかなかノリの良い店長だった。
もつ平で呑みながら思い出した。ここは四辻の角で、確か僕が高校生のあたりに信号機ができた。
車などほとんど通らない。僕は信号機が赤になったから車も人もいない通りをぼーっと眺めていた。すると楯岡の方から浮浪者の男がやってきた。こんな汚い人を見たのは初めてだった。男は信号機前で立ち止まり、頭を上にあげ、右手の親指と人差し指で、自分の右目の瞼を開けた。そして標識を見た。えーーーーーっ!
楯岡のサブちゃんだ! サブちゃんは頭が良すぎて働くことも風呂に入ることもやめ、目を開けることさえ止めてしまった、しかし新聞とか読みたいので早朝隣の新聞箱から新聞を借りてきて指で目を開け、全て読む。読んだら隣に新聞を返す。伝説の人物だと思っていたが実在してた。周りを圧倒する存在感を持っていた。
サブちゃんは世捨て人だ。世の中はラットレースやどんぐりの背比べ、その土俵を捨てたものが世捨て人だ。土俵の中で自分が上と思っても結局下と比べての上であって、本来の自分は見えていない。下としても同じだ。比較して優劣しているだけ。狭い土俵から出ることで本来の自分を知る。ここが僕の中の何かを刺激したのだと思う。
サブちゃんは僕の本『サ゜スウォスス オブ キャッツ曼荼羅』の中に出てくる50匹の猫の中の1匹だ。名前は『サ゜ヴ』となって『サ』に『⚪︎』がついて破裂音になっている。この物語のタイトルの最初の文字にした。これは狭い土俵から破裂して外に出た者どもの物語だ。こうやって大人になってから本にするのだから、僕にとってサブちゃんはかなり衝撃破裂の人物だったのだろう。
*サ゜スウォスス オブ キャッツ曼荼羅
これは古今東西の神話や伝説・伝承や現代の科学的発見などに想を得て創作した50匹の猫の創世記ドラマ。
●ポトス
アトリエの梁を見たら、ずいぶんポトスの枯葉が目立つ。千葉で育てていたものを神奈川に持って行き、そして山形。もう30年近く生きている。来週は打ち合わせで人が来るので、枯葉を取り除き少しきれいにした。
チョコは暑くてダウン。
●本
最近、長らく見ていた本を閉じた。
ファイスブックというのはその名の通り『本』だ。本の中に自分が入って物語の役者になっている。ファイスブックだけでなく、何でもかんでも本だ。それらしい本は内容がきちんと理詰めにされているので本当だと思ってしまうが本当ではない。『本当』の文字が示しているように、本の中でだけ当りなのだ。
僕らが聞いた話や思った内容も全てある種の本だ。例えば学校というものも『学校』というタイトルの本だ。本の中では物語が進行するから、物語上、主役や脇役や善や悪やそのほか様々な役者が揃う。現実というのも『現実』というタイトルの本だ。どの本にしても作り話であって真実ではない。
もし本に飽きたり苦しくなったりイヤになったりしたら、ただ本を閉じる。本は開いたら閉じるものだ。本を閉じるのが坐禅だ。
●人
この家は僕にとって神聖な所だ。
ずいぶん前には名古屋から
そのあとは神奈川から人が来たが、
なんか違うなぁと感じたので
玄関先で話しただけで中に入れなかった。
この間庭を見たいと言う女性から連絡があった。
SNSでは知っているが、
SNSなどで人などわかるわけがない。
ここはカフェでも公園でもない。
生で会ったことのない人を家に入れたくはないだろう。
作品購入なら話は違うが、そうではないようなので断った。
大体僕は絵日記に書いている通り
坐禅やアートや庭いじりが好き。
つまり人(我)は介在していない。
懐かしい人や話が面白ければ人と会うが、
それ以外は、束の間の命、無我が面白い。
だから人(我)にも坐禅(無我)を勧めている。