2013年5月7日火曜日

[4114] 解放感

冷たい小雨そぼ降る中、カッパを着て、庭に蔓延る魅力的でないヒメオドリコソウの草むしりをする。ヨーロッパから来た、名前は踊る姫、ダンシングガールなんだけど、どうも見た目が陰気だし、身勝手に蔓延る。名前を変更してガガツヨソウにすればいいとひとりごちた。
 あまりに広がって庭中踊りまくっているので、むしりにむしるうちにカキドオシやぺんぺん草などいろんな小さな花を発見する。そのうち思いもよらない日射しが降り掛かり、頭部が暖かくなって意識が自然の中に溶け込む。
 自然とは何なんだろう? 人類はどこに向かっているのだろう? などの何十年思索しても答えのでない金にもならない疑問が、ふと解ったような心地良い解放感に包まれた。

2013年5月6日月曜日

[4113] 寸前

この連休は家に尋ねてくる人が多かった。そのせいで庭仕事も本職もなかなか集中させてくれず、人嫌いになる寸前だったが、次年子窯に頼んでいた大作が無事爆発せずにできたので、僕の内部も爆発せずに済んだ。大作はそんなに大きくないのだが、とても重く、大事を避けるために二人掛かりで運ぶ。
 この写真よく見ると、僕らのバックに雪がある。ここはまだまだ冬なのだ。それに関係ないけど、僕の目が寄っている。たぶん爆発寸前の表情がそのまま定着してしまったのだろう。

2013年5月5日日曜日

[4112] スイレンとハス

今日は朝から春最大の難儀な仕事、池のスイレンやハスの植え替えをしていて思った。
 人というのは「こうすれば、このマイナスはプラスになる」などの他人の言葉を、裏があると知りつつ信じ込み、自分の心の葛藤を他人任せにする。これは自立心ではなく依頼心という。依頼心で心からマイナスが消えることは無いだろう。その仮に現れたプラスは完全な快晴では無く、ほんの束の間の雲間から覗ける程度の晴れ間だ。そのような曇った空を、これが現実なんだと思い込み、本当の快晴を諦める。しょうがなく戦争をし、しょうがなく人を殺し、しょうがなく毒を飲み、弱いものや負けたものが苦しみむのはしょうがないと思い込む。そんな言葉に付いてゆくその意識こそが創造力の欠如だと思う。
 スイレンやハスはどうしようもない泥沼から美しい花を咲かせる。

2013年5月4日土曜日

[4111] 忘却

ものを忘れることは、気にしなければいい。たぶん必要じゃないから忘れるんだろうと思う。忘れていいものなら忘れた方がいい。忘れるということは、毎日が過去の記憶と関係なく、目の前の風景が今初めてみるような感動があるから新鮮で楽しい。
 それとは反対に物覚えや暗記は面倒で、忘れないために努力するのは苦しい。物覚えや暗記が得意な人は頭がいいといわれ、頭がいい人がこの社会をコントロールしている。つまり社会とは過去に縛られた苦しい奴らが作ったもの。だから面倒で苦しいんだろう。
 今を生きろよ!

2013年5月3日金曜日

[4110] 木の芽

朝五時半起床。農家でもないワシが農業用水路掃除に駆り出された。防火用水としても使うから、って言うんだけど、なんか誑かされたような。でも眺めのよい歩いたことのの無いところだったので楽しかった。途中、おじさんが「ほら、これがナンマイだ」と木の芽を取ってくれた。おひたしにすると美味いらしい。何の木なのと聞いたら、知らないと言う。本体はどうでもよくて、食べられる芽だけに名前を付けているみたい。
「もりさん、木の芽なら何だって食えるよ」
 飢饉などの時代、東北の山人は山に成るものならなんでも食ったんだろうね。
「うるしの芽も美味いよ。もりさん、かぶれる? かぶれるならダメだな」
 写真は昔にうるしかぶれになった時のもの。俳優の阿藤快ではないよ。

2013年5月2日木曜日

[4109] 分裂と融合

フランスから内密で原発の何か運ばれたらしいよ。
 原発というのは核分裂でエネルギー作っているんだけど、この『分裂』ってのが気になる。人でいえば頭が統合失調症っていう病気だ。病院に行って薬治療だね。夫婦でいえば離婚だ。ひどいと弁護士雇ったり、裁判だし、やはり面倒。社会でいうと病院や役所内が細分化されているので、ぐるぐる回される。これはストレス。国でいうと分裂は戦争だ。
 どうせなら太陽のような核融合によるエネルギーを借りるのがいいのかも。『融合』は結婚とかそうだし、愛がまさしくそうだ。とりあえずこっちの方が薬も弁護士も必要ないし、ストレスもない。戦争なんかとは反対の楽しい祭りだもの。
 今日は作品融合のため、ガラス作家のチリさんが来た。

2013年5月1日水曜日

[4108] 次年子

昨日、次年子窯に持っていった作品の手直しをしに、今日も次年子村へ。この名前の由来は年末に生まれた赤ん坊は冬を超えた次の年に役所に届けるぐらい雪が深いから『次年子』と言うんだって。次年子村に最初にそば屋ができた頃に入った懐かしいそば屋に入った。あの頃とは違って部屋が増えていた。その話しを女将さんにしたら、店ができた次の年に部屋を増やしたから、僕は26年前に来たお客だと言う。開店当初の話しを聞いて女将さんはソバをもういっぱいくれた。おかずにいろんな山菜を出してくれた。山菜の名前を聞いたら「食えるもの」だって。そういや、沖縄の竹富島の民宿で、僕が海から拾ってきた貝の名前を聞いたら、民宿のおばさんが「食べ物」と言っていたことを思い出した。どちらもいいとこだね。