●映画
最近の絵、猫が周りに溶け込んで希薄になり始めているような気がする。絵の重点が猫を含めた全体的な画面になってきているのだ。
これは嬉しい発見だ。スター猫が主役だった映画が、全体的なムードを表現する映画作りに移行した感じだ。実際、自分の好きな映画はスターなど目立たない映画自体が面白い美しいものが好きだから、最近の絵はかなり自分を表現できていると思う。
2017年3月14日火曜日
2017年3月13日月曜日
[5920] ふり
●ふり
言葉を正直に、生き方を正直に、と言っても、相手に良いと思って正直言ったことでも、それがただの自己中だったり、偽善だったり、乱暴だったりする。正直、『正直』は解らない。みんな何かの『ふり』をしてる。猫かぶりも悪ぶりも偉ぶりも『ふり』は全てウソぶっているから『正直』とは正反対のものだ。『ふり』は自分を正直ぶることもしてしまうから、意外とあざとい。結局、自分の『ふり』にはなかなか気付けない。よく自分を観察し、自分の『ふり』に気付いた時、『正直』が表出するように思える。
例えば『正直』とは太陽で、『ふり』は雲だろう。雲があろうがなかろうが太陽はいつだってある。自分を覆っている雲に気付くことだ。気付けば青空になる。太陽が出れば、自分が行くべき道の先が見える。その道がどこに向かっているかは解らないが、その視界を絵として実践してみる。するとまた道の先に明かりが差す。
言葉を正直に、生き方を正直に、と言っても、相手に良いと思って正直言ったことでも、それがただの自己中だったり、偽善だったり、乱暴だったりする。正直、『正直』は解らない。みんな何かの『ふり』をしてる。猫かぶりも悪ぶりも偉ぶりも『ふり』は全てウソぶっているから『正直』とは正反対のものだ。『ふり』は自分を正直ぶることもしてしまうから、意外とあざとい。結局、自分の『ふり』にはなかなか気付けない。よく自分を観察し、自分の『ふり』に気付いた時、『正直』が表出するように思える。
例えば『正直』とは太陽で、『ふり』は雲だろう。雲があろうがなかろうが太陽はいつだってある。自分を覆っている雲に気付くことだ。気付けば青空になる。太陽が出れば、自分が行くべき道の先が見える。その道がどこに向かっているかは解らないが、その視界を絵として実践してみる。するとまた道の先に明かりが差す。
2017年3月12日日曜日
[5919] 正直
●正直
まだまだ雪は降る。でももう積もることはないと思うので、デッキと池の雪掻きをしてテーブルと椅子を出す。春に向かっての庭仕事はほんとに心地良い。最近の『プリズム』絵も春のようで好きだ。
昨日の『超かぶり』という言葉は、昔の作品『超化』と同じ意味のように思う。『超化』は猫が過去の他人の名作品に化けて地上から浮いている作品だ。『化ける』だけでなく浮いているので『超』を付けたのだ。二次元の絵の浮遊は浮いた絵を描けば済むことだが、立体の三次元で浮かせるとなると、支えが必要になる。例えばイルカを作って浮かせるとしたら波を作りその上にイルカを乗せる。もしくはイルカの腹に棒を刺して台に乗せる。天井から吊るす。それらはどれも現実として違和感がある、あり得ない。あり得ないのにそれらしく作るのは嘘つきだ。どうせあり得ないなら、さもあり得ない浮き方をする方が正直だ。『正直』とは面白いものなのだ。
まだまだ雪は降る。でももう積もることはないと思うので、デッキと池の雪掻きをしてテーブルと椅子を出す。春に向かっての庭仕事はほんとに心地良い。最近の『プリズム』絵も春のようで好きだ。
昨日の『超かぶり』という言葉は、昔の作品『超化』と同じ意味のように思う。『超化』は猫が過去の他人の名作品に化けて地上から浮いている作品だ。『化ける』だけでなく浮いているので『超』を付けたのだ。二次元の絵の浮遊は浮いた絵を描けば済むことだが、立体の三次元で浮かせるとなると、支えが必要になる。例えばイルカを作って浮かせるとしたら波を作りその上にイルカを乗せる。もしくはイルカの腹に棒を刺して台に乗せる。天井から吊るす。それらはどれも現実として違和感がある、あり得ない。あり得ないのにそれらしく作るのは嘘つきだ。どうせあり得ないなら、さもあり得ない浮き方をする方が正直だ。『正直』とは面白いものなのだ。
2017年3月11日土曜日
[5918] 透明人間
●透明人間
透明人間とは何を被っているのかどうか解らないが、スケベにとって透明人間は憧れだ。この間の考察で『オレかぶり』=『ゼロかぶり』で、『オレ』は『ゼロ』になった。つまり『オレ』は透明人間になった。とうとう憧れの者になったようだ。でもいまさら透明になってスケベは苦労だ。
透明人間というのはどんな者か解らないが、色を変えるカメレオンとか枯れ葉に化ける昆虫とか、周りに同化する擬態性質もその仲間だと思う。そういった意味では『猫かぶり』は自分の本性を隠すわけだから擬態であり、透明人間だ。でもバレたら擬態としてはアウトだ。そこで『オレかぶり』という『猫かぶり』の上にオレを被る『超かぶり』に変身したのかもしれない。
透明人間とは何を被っているのかどうか解らないが、スケベにとって透明人間は憧れだ。この間の考察で『オレかぶり』=『ゼロかぶり』で、『オレ』は『ゼロ』になった。つまり『オレ』は透明人間になった。とうとう憧れの者になったようだ。でもいまさら透明になってスケベは苦労だ。
透明人間というのはどんな者か解らないが、色を変えるカメレオンとか枯れ葉に化ける昆虫とか、周りに同化する擬態性質もその仲間だと思う。そういった意味では『猫かぶり』は自分の本性を隠すわけだから擬態であり、透明人間だ。でもバレたら擬態としてはアウトだ。そこで『オレかぶり』という『猫かぶり』の上にオレを被る『超かぶり』に変身したのかもしれない。
2017年3月10日金曜日
[5917] プリズム
●プリズム
習作でもやっといい感じの絵ができた。これ見て、『プリズム』が浮かんだ。
光は目に見えず透明だ。それがプリズムを通すと七色に別れる。僕らはこの七色の世界を見ていろいろ判断している。分けたものを見て、これが良い、あれが悪いと言っても、元は同じ一つの透明なものなのだ。つまり自分の本性を知るには、プリズムを通して見ているこの七色の世界の部分をまともに信頼してはだめで、全体を見なければいけない。しかしその全体は透明であるが故に見ることはできない。そこで自分に部分的な色を被せ観察する。それが『かぶり』だが、『かぶり』をしていても透明である『かぶらない』を意識しながら客観的に眺めないと光は感じられない。
今日は三月なのに雪降りだ。庭は雪を被っていて寒いが、雲の上には輝く太陽がいつだってあるんだ。
習作でもやっといい感じの絵ができた。これ見て、『プリズム』が浮かんだ。
光は目に見えず透明だ。それがプリズムを通すと七色に別れる。僕らはこの七色の世界を見ていろいろ判断している。分けたものを見て、これが良い、あれが悪いと言っても、元は同じ一つの透明なものなのだ。つまり自分の本性を知るには、プリズムを通して見ているこの七色の世界の部分をまともに信頼してはだめで、全体を見なければいけない。しかしその全体は透明であるが故に見ることはできない。そこで自分に部分的な色を被せ観察する。それが『かぶり』だが、『かぶり』をしていても透明である『かぶらない』を意識しながら客観的に眺めないと光は感じられない。
今日は三月なのに雪降りだ。庭は雪を被っていて寒いが、雲の上には輝く太陽がいつだってあるんだ。
2017年3月9日木曜日
[5916] 変身
●変身
子供も大人もよく被り物をする。人は変身願望があるのだろう。
子供の頃、TVで手塚治虫の『バンパイヤ』の変身シーンを見て興奮したものだ。変身するまでの変化が実に美しい。なるべく時間をかけて気持ち悪いぐらいリアルな変身が好きだ。セミやトンボの羽化も美しい。見ていると一秒毎に世界が変化してゆくのを感じられる。その後いろんな映画で、その手の変身シーンを見ては興奮した。でも仮面ライダーの変身は一瞬でつまらない。
ところで狼男は人間からオオカミに変身する。変身してしまって、そのままだったら、それはただの獣のオオカミだ。面白くない。またオオカミに変身できるのに、人間のままだったら、ただのつまらない嘘つきだ。やはりオオカミになったり、人間に戻ったり。人間に戻ったとき、一段深い人間になったり、もしくはオオカミからまた別の何かになったりと変身を続けることが面白い。何かに留まったら変身ではなく変死だ。
僕は『猫かぶり』から『オレかぶり』への変身をなるべくリアルに絵日記で言語と絵にしている。絵日記の絵は実験的なイタズラ書きだが、イタズラ書きもどんどん変身変化成長して、人物主体から周りも含め平面全体に意識が広がり始めている。これは空気に変身しようとしているのか? それとも実体のない鏡? それとも透明人間?
子供も大人もよく被り物をする。人は変身願望があるのだろう。
子供の頃、TVで手塚治虫の『バンパイヤ』の変身シーンを見て興奮したものだ。変身するまでの変化が実に美しい。なるべく時間をかけて気持ち悪いぐらいリアルな変身が好きだ。セミやトンボの羽化も美しい。見ていると一秒毎に世界が変化してゆくのを感じられる。その後いろんな映画で、その手の変身シーンを見ては興奮した。でも仮面ライダーの変身は一瞬でつまらない。
ところで狼男は人間からオオカミに変身する。変身してしまって、そのままだったら、それはただの獣のオオカミだ。面白くない。またオオカミに変身できるのに、人間のままだったら、ただのつまらない嘘つきだ。やはりオオカミになったり、人間に戻ったり。人間に戻ったとき、一段深い人間になったり、もしくはオオカミからまた別の何かになったりと変身を続けることが面白い。何かに留まったら変身ではなく変死だ。
僕は『猫かぶり』から『オレかぶり』への変身をなるべくリアルに絵日記で言語と絵にしている。絵日記の絵は実験的なイタズラ書きだが、イタズラ書きもどんどん変身変化成長して、人物主体から周りも含め平面全体に意識が広がり始めている。これは空気に変身しようとしているのか? それとも実体のない鏡? それとも透明人間?
2017年3月8日水曜日
[5915] メタファー
●メタファー
『猫かぶり』は「本性を現さず、大人しそうに見せること」、ぶりっことか偽善者とも言われる。あまりいい意味では使われない。猫だけに化けの皮を剥がしてやりたくなるが、剥がしたら、たぶん泣かれる、噛みつかれる、引っ掻かれる、刺されるだろう。
では『猫をかぶらない』とは、本性丸出しで怒るわ、切れるわ、暴れるわ、刺すわ、殴るわ、野獣だろうと一瞬思うかもしれないがそうではないだろう。これらを本性と決めたのは、理性のない人間は動物のように本能のままで、まるで野獣、野蛮は嫌いと上品ぶった輩が自らの優越感幻想を固守する為、他と線引きしたかったからだろう。本性が大人しく可愛いく素直だってある。個性があるんだから人それぞれだ。
アリストテレスは「人間とは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、善く生きることを目指す共同体を作ることで完成に至る、独特の自然本性を持った動物である」と言った。
僕が自分の作品『オレかぶり』に感動したのは、「可愛い」の上に「気色悪い」が乗ったのもあると思う。一瞬、『猫かぶり』で大人しくしているやつの化けの皮が剥がされて、本性が現れたような心地良さを感じた、自分のね。つまりこの作品は、アリストテレスが言ったように、「善く生きることを目指して」、『猫かぶり』が『猫をかぶらない』を正直に表現したメタファーなのだ。
『猫かぶり』は「本性を現さず、大人しそうに見せること」、ぶりっことか偽善者とも言われる。あまりいい意味では使われない。猫だけに化けの皮を剥がしてやりたくなるが、剥がしたら、たぶん泣かれる、噛みつかれる、引っ掻かれる、刺されるだろう。
では『猫をかぶらない』とは、本性丸出しで怒るわ、切れるわ、暴れるわ、刺すわ、殴るわ、野獣だろうと一瞬思うかもしれないがそうではないだろう。これらを本性と決めたのは、理性のない人間は動物のように本能のままで、まるで野獣、野蛮は嫌いと上品ぶった輩が自らの優越感幻想を固守する為、他と線引きしたかったからだろう。本性が大人しく可愛いく素直だってある。個性があるんだから人それぞれだ。
アリストテレスは「人間とは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、善く生きることを目指す共同体を作ることで完成に至る、独特の自然本性を持った動物である」と言った。
僕が自分の作品『オレかぶり』に感動したのは、「可愛い」の上に「気色悪い」が乗ったのもあると思う。一瞬、『猫かぶり』で大人しくしているやつの化けの皮が剥がされて、本性が現れたような心地良さを感じた、自分のね。つまりこの作品は、アリストテレスが言ったように、「善く生きることを目指して」、『猫かぶり』が『猫をかぶらない』を正直に表現したメタファーなのだ。
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