2018年5月7日月曜日

[6340] 展示

●再生
 明日5月8日から19日まで六本木のフカサクギャラリーで『HOME』をテーマにチーム展をやる。
 去年のあの広い20×8 mのノリタケギャラリーとは打って変わって、4×2 mのとても狭い空間だ。力士が二人いたらぎゅうぎゅうだ。
 僕は個人的に還暦後、生まれ直しとして新たな表現活動を進めている。僕自身の再生に挑戦し始めたのだ。その結果、去年ペリペリ画法を発見した。絵描きを志し40年、一番手にしたかった自分だけの画法だ。その画法でいろいろ実験制作し続け、とうとう月が見えた。その時、僕は「あ~、月に来た」と感じた。地球から離れて月に向かった人はわずかだ。彼らの脳には月の物語が刻まれているだろう。僕の脳にも彼らとは違った方法論による月の物語が刻まれた。瞬間、地球は僕の故郷 HOME になった。僕の再生は HOME の再生でもある。
 今回の展示ではブログでも未発表の僕の月の次の作品『さざえ堂』を展示してます。
 ぜひご覧あれ!
 僕は初日と12日のレセプションパーティにおります。 
2018.5.8(火)-5.19(土)
11:00~19:00 日・祝日休廊 (最終日17:00まで)
Hideharu Fukasaku Gallery Roppongi
東京都港区六本木7-8-9 深作眼科ビル1F・B1

2018年5月6日日曜日

[6339] 個展終了

●化仏
 個展を終えて思うこと。
『人間の傍に数年の間、ペットとして生きる猫は、君を癒すだけでなく、人に教え、人間を救うために、仏や菩薩が化けた存在、つまり『化仏』というものの見方をしてみたらどうだろう? 
 目の前にいる本当の猫は菩薩だから、君が知らない真実を知っている。学ぶことは多いはずだ』
 この課題で僕は過去に、化ける三部作『化仏・超化・道化』を発表した。人に真実は実際わからない。人々に真実を示すには『化仏』という仮定が必要なのだと思う。

2018年5月5日土曜日

[6338] 明日ラスト

今日は大勢のお客さんが来て
足攣った。
声枯れた。
目寄った。
舌噛んだ。
屁が出た。
肩凝った。
腹鳴った。
世界回った。
空間捻れた。
時間遡った。
脳も体も疼いた。
明日ラスト。

2018年5月4日金曜日

[6337] 豊穣記

●豊穣記
 方丈記は鴨長明が書いた無常観の随筆だ。60歳で書いたらしいから今の僕と同じ歳だ。興味が湧いたので読んでみた。とても鋭い視点で面白い。しかしやはり文学的な無常観なので全体的に暗く感じる。
 ところで自分の還暦後の制作方法が、まるでこの「ゆく川の流れは…」なのだ。「世の中にある人と住処と、またかくの如し」とあるが、僕の場合、人と住処ではなく、「作品制作、かくの如し」だ。生活的無常観に視点を置かず、作品の無常さを追求楽しんでいる。
 つまり今までは川の流れを猫というダムによって堰き止めて、そこから発電してエネルギーを得る制作だった。それではなくこれまでの猫ダムを外し、元の川に戻し、流動的感性による制作に転換したのだ。これは無常観という暗いイメージではなく、同じような意味だけど、カラッとした『プラスマイナスゼロ』になった。この制作方法が僕にとって、作品豊穣に繋がっている。だから方丈記ではなく『豊穣記』なのだ。

2018年5月2日水曜日

[6335] ドクロ

●ドクロ被り
 還暦後の流れ『月文[6325]』からの続き。
 オレがドクロになって『ドクロ被り』になった。『オレ被り』作品の時間経過なのだろうが、もはやオレは居ず、死ですね。
 月を制作、出来て、ふとこれは爆弾が落ちて滅びた地球の未来の姿ではなかろうかと思った。地球に人類が誕生し、上を見たときから、『月』はずっとメタファーとして滅亡を表現しているんだと思う。人間の進歩発展上昇志向の行く末を見せることで、傲慢な押し(プラス)ばかりではない謙虚な引き(マイナス)を示しているのではなかろうか。僕がプラスマイナスゼロを基本姿勢にやっていて、最終的に月に惹かれたのはそこのような気がする。
 暗部最終段階が『月』で、オレの最終状態が『ドクロ』だ。
 合わせて『月文ドクロ被り』です。
*現在個展中の谷中のギャラリーに展示しております。

2018年5月1日火曜日

[6334] 雅叙園

●雅叙園
 目黒の雅叙園に自分の作品を見に行く。地下鉄に乗るのは何年振りだろう? 久しぶりの地下鉄にドキドキしながら目黒へ。雅叙園では猫神様がまあ立派に展示されていて嬉しかったわい。
 久々の都会散策に体が宙に浮いたムンクの叫びです。
 でも本当は都会に圧倒されるかと思ったけど、東京は30年前とそれほど変わらなかったわい。
*雅叙園展示会
http://www.hotelgajoen-tokyo.com/event/nyanto