●寛大さ
日曜日、大快晴。
最上川芸術祭メインイベントの日だ。
多くのお客さんが来て、
講談もダンスも大成功だった。
講談もダンスも大成功だった。
館長も大変楽しそう。
暇を見つけては何度も僕に喜んで話しかけてくる。
FBでは僕のことブロックしているのに、
今日は僕のこと大好きみたい。
今日は僕のこと大好きみたい。
あれだけ僕を阻み怒らせておいて、
平気のへいちゃらなのだ。
平気のへいちゃらなのだ。
昨日までのことはほぼ忘れる性格なのだろう。
ある意味いい性格だ。
今日はもう素晴らしい善人だ。
ところで館長は作り手のエネルギーは高く評価するが、
作品は一切褒めない。
褒めないどころか、見ない。
エネルギーはお客を呼べるが、
作品は美術館を汚す。
エネルギーはお客を呼べるが、
作品は美術館を汚す。
真下慶治以外はほぼダメなのだ。
これは断固ブレない。
しかしその好みは今や狭くて不自由と思う。
真下の奥さんという私情が入るのだ。
真下の奥さんという私情が入るのだ。
だから昨今の作家には悪人になり、
来るお客には善人になれるのだろう。
来るお客には善人になれるのだろう。
善人・悪人に変身せず、
若手の作品も理解できる寛大さを持てば、
この美術館は船出し発展するだろう。
若手の作品も理解できる寛大さを持てば、
この美術館は船出し発展するだろう。
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