●瞑想空間
昨日の絵日記に書いたように、1日は『あっという間』に過ぎなくなった。
僕の中から『あっという間』が消えて、未来のために今を貧乏にすることをやめたのだ。貧乏暇なしだからね。時間がとてものんびりゆったりと長く感じる。暇が多い、つまりやや裕福になったのだ。
ところが皮肉なことに『あっという間』に収束して欲しいコロナウイルスはずっといる。片や『あっという間』が消えてホッとして、片や『あっという間』に消えて欲しいと願う。この二つは対極にある。また気持ちの良いことはずっと続いて欲しいから『あっという間』がないほうがいい。でもなかなかそうはならない。気持ちの良いことは『あっという間』に終わってしまうものだ。時間は心的なものであることの証だろう。
僕らは今、社会のリズムがコロナ事情で狂わされ、しょうがなくコロナウイルスのリズムの上に乗せられている。『あっという間』でないリズムの上だ。そして『あっという間』だらけだった過去の社会は壊れそうで、もしかしたら戻れない。これまで社会はスピードを上げて上げて成長したが、社会も人間と同じように歳をとって少し衰えてきたのだろう。過去の無理が祟る前に、ちょうど良いリズムを身につけようとしているのかもしれない。それでこんなリズムになった。このリズムはヤンチャなことをしない限り、三密で無欲な瞑想空間だ。
僕らはおそらく坐禅させられているのだ。
坐禅、奥深いところにいて耳をすましている。最も小さい素粒子の振動を気にしている。熊谷守一のように雨だれ一滴を見ている。たぶん極微細な『あっという間』を観察している。豪華客船で数ヶ月旅するようにキャベツの葉脈をじっと見ている。もし心地良いことを長持ちさせたいならば、この無音のリズムを身につけることだろう。
今日は嵐。花が散ってしまいますかね。個展が散ったように人間が引き留められるものなんてないような。散った花びらの歌でも歌うのが美しい。
庭をちゃんと観るため、10年間同じだった居間のテーブルの位置を変えた。
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