●未来=スネ
僕は毎朝、植木鉢の植物に水をやっている。いつも通りなのだが、最近は枯れた葉など発見してもそれを取り除くことを面倒だと思わない。それから訪れ来る人がいないので何者も待つ必要がない。ほぼこれのために生きてきた個展のことを考えることもない。僕の中の未来がコロナ事情でほぼ無くなってしまったのだ。
そういや子供の頃、未来という概念はあっただろうか? なかったように思う。親のスネをバリバリかじっていたから、わざわざ未来など持つ必要がなかった。未来というのは親のスネだった。
そういや20代も未来はなかった。一人孤高のアーティストになる夢はあったけど、社会にそぐわない箇所が多かったから、社会が示す人工的な一方向の未来に順応できなかった。だから未来はないも同然。でも自由に生きてたから随分楽しかった。都会に住み着いたスズメみたいなもの。もしくは雲水のようなものだった。拾ったものと貰ったもので食いつないでいた(時に人にタカリ)。いわゆる社会のスネをかじっていた。
子供は親のスネをかじり、大きくなる。そのぐらいでスネはなくなるはずはなかった。ところが昨今の親のスネは細い脆い。スネが細くなった親は自分の不甲斐なさを棚に上げ、子供を虐待する。
子供にとっての親は、人間にとっての社会だ。人間は社会のスネをかじる。ところが昨今は社会のスネも細い脆い。スネの細い為政者達だからだ。細いくせに自分の不甲斐なさを棚に上げ見栄を張り、嘘までついて権威を誇示し、せっかく培った人々の善意や協働心を失わせ、国民を虐待する。
そうか! 問題はスネだ!
どうせコロナ事情で動けないなら人間ヤメて、木になろう。木は太陽や地面があれば生きてゆける。木にとって身の回りすべてがスネだ。それに木は人間に酸素を与えるいい奴だ。それだけでなく花咲いたら虫が来るし、実がなったら鳥が来るし、大きくなれば憩いの場になる。全てにいい奴だ。枯れ葉が嫌いと大木を切ろうとする輩がいるから都会の街路樹は止して、寺や神社、癒しの地に根を張ろう。
よし、これを地盤にした新しい未来の時空を創造しようと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿