●既成
”完全な『わ』”はアートではない。アートという定義がイマイチわからないが、たぶん違うだろうと、まぁ定義があったとしてもそれに合わせる必要はない。別に自分は既成の何かになりたいわけではない。既成のアーティストになりたいわけでもない。
社会とは既成の何かでいっぱいで会社の社員や政治家のように定員があって先の人がいなくなって新しい人を埋めているように見える。先の人を蹴落としてその席に座るもののようにも見える。
そうではない。すべては川の水のように留まることなく動いていて、僕らがその川を見ているわけではなく、その川の中にいて、実は川から生まれて川になって川を流れている。もうそれに成っているのだ。だからわざわざ成っているここから逸脱して哀れにも既成のモノになる必要などどこにもない。成っているそれが合わなければそれは既成の何かだろう。既成などやめればいい。やめても川の中を流れ成っているわけだから何も問題は起ころない。かえっていい流れを掴んで喜べて幸せも掴むだろう。
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