●『絵画』と『観念』
アートの使者ついでに現代美術について。
デュシャンを好きだった当時のファンが、バルテュスの絵を好んだだろうか?
もし僕なら好まなかっただろうと思う。実際自分はファンでないからどっちも面白いと思う。
デュシャンはレディ・メイドという既成品の便器を展覧会場に展示したことで有名だ。「ほれ、便器だ、勝手に感じ思うがいい」。当時の観客を小馬鹿にした、否、対象物を描く『絵画』というものではなく「ほれ、便器だ」という『観念』を会場に提出したのだ。頭のいいヤツは脳を降る回転してこの作品?を分析しなければならない。これによって人間の知性が向上したと思う。作る『絵画』より作らない『観念』の方がより刺激的で自由で学びが多かったからだ。さて、それ以降アートにはヤバいほど刺激的な観念なるものが必要になってきている。なぜなら『絵画』の喜びと『観念』の喜びを知ってしまった今日、僕らはそれ以下ではあんまり喜べない。例えば新しいとても美味い酒を飲んでしまったら、それ以前やそれ以下の味わいの酒では満足しなくなるようなものだ。
ではバルテュスはどうだろう。まるで絵本になり切れない自分の嗜好の世界を絵にしたようなものだ。デュシャンの『観念』などどうでもいい時間を無視した完全なる視覚『絵画』だ。デュシャンの酒は大量生産的だが、バルテュスの酒は誰にも飲ましたくない秘密の美味い酒だ。
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