爺婆作品を作っていて思う。
これって、ワシが猫を作り始めた当初からの思いだ。写真は初期作品、目は笑顔と仏像の中間ぐらいの線を描くことを心掛け、ジッとコタツで座っているようなアルカイックスマイルの婆ちゃん。伊勢のおかげ横丁の猫巡り商店猫にしても主人公は爺ちゃんだ。まあ猫の顔や姿を借りているのは、人間にしたら余計な色が付く。猫の方が創作を迷わず進めることができるわけだ。この世とあの世の中間地点の顔、それが年寄りなんだろう。そしてそれは『老い』というものを知らせるメッセージでもある。
創造とは自分がするものではない。地球が自転しているにも拘らず、その中のワシはそれが解らない、のと同じようにワシらは創造の中にいる。創造の中で呼吸している。ときどきでいいから政治や経済に身を包まれているのではなく、もっと大きな創造の中にいることを思い出そう、『老い』の中にいることを思い出そう。
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