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伊勢に来る朝、「昨夜、叔父さんが亡くなった」と兄から電話があった。叔父さんとは僕の父親の弟だ。叔父さんには父親の他に姉や妹もいるがもう既にみんな亡くなっている。
去年父親が亡くなった時、叔父さんは施設にいた。仲が良かった4つ上の父親の死が叔父さんにショックを与えると思い、周りは父親の死を叔父さんには内緒にしていた。父親の死から一年以上過ぎ、叔父さんは亡くなった。向こうで叔父さんは、「兄貴、なーんだ、先に来てたんだ」と言って笑うだろう。
ところで父親も叔父さんも昭和初期の生まれ、苦労した激動の時代の人間だ。いろいろなことを経験し自慢話もたくさんあるだろうが、僕にはそれほど興味深いことではない。ふと思うのは彼らの経験や自慢が今のこの時代に一体何になるんだろうと。死んでしまえばそれまでだ。よほど凄い何かを成し遂げた人だって時とともにみんなに忘れ去られてしまう。誰も何も思い出さない。
ところが最近僕は書きたいことがあって新しい小説を書き始めたら、今まで見えてなかった父親と自分との関係の深部に入り込んでゆき、お互いは消え、関係の中でしか把握できないリアルなものが、どんどん大きなうねりとなって浮上し、もはや父親の人生が全く無意味でなくなった。そうかこうやって深くまで思い出すことが大事なんだと思った。
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