●和
猫作家の小澤さんに「わじんさんの抱っこしているアハーン猫と同時期に抱っこしているサルを作ったアメリカ人がいる」と言われた。指摘しているのはどっちが先かの独創性。作家なら誰でも気にする問題だ。
さて私の作品、社会的に作家デビューとなった作品『猫神様』は仏像と招き猫の和。その後制作したアハーンは雌雄の和、家は雌雄でもあるが猫の種類から東西の和、ペリペリは剥ぐで加えるペタペタとの和、『わ』の図も名前の通り和。これらの和は対極をなすものの和だ。抱っこは和の一部に過ぎない。
さてこの世は表裏・上下・左右・前後・貧富・正否・有無などの対極があり、それらは相互依存関係で出来ている。依存とは片方だけでは存在できない。単体は不在、つまり和でしか存在できないのだ。ここで重要なのが自と他がいて和になるのではなく、和が最初にあって自と他が出てくるのだ。
そして私が行き着いたのが和でしかない坐禅だった。名前が『わじん(和人)』、唯識の『名は体を表す』を超えて『名を体にした』のだ。 *作品は渾沌猫。
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