●退がる
こんな歌がある。
「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩退がる♪」
人はこの二歩退がるがなかなかできない。
「あれもやらねば、これもやらねば、そんなことしている暇はない」などと無意識のうちに進むことを強いられている。私が一歩下がることをやり始めたのが40歳の頃、あまりに作品制作に追われていて、当時の10畳ほどの庭をふと見たら、草茫々。何の気なしに草をむしっていたら崖の上に梅の花を発見し心地よさを味わった。そして庭に興味を持ち手入れし始めた。進むことを忘れられる一歩退がる行為こそ庭の手入れだった。
今日もいつもなら一日一回で済む花壇への水まきをこの暑さで午後もやる。進むことばかりでは花は枯れるだろう。手入れを誰かに任せればお金を払わなければならなくなりより多く仕事を進めなければならなくなる。それに誰かが作った花壇の花に思い入れはない。それは造花のようなものだ。一歩退がるとは自分の身も心も退がることだ。
そしてもう一つの退がるが早朝坐禅だ。これのすごいのは退がることから一日が始まることだ。進むことに支配された心身が支配から解放される、というよりも早朝なので始めから支配などなかったということを知る。ならばその後の仕事も坐禅で庭の手入れも坐禅だったことを知る。何もかも坐禅だったことを知る。そして四季折々の環境や宇宙の運行が己を含んで一歩一歩勝手に進んでいることを知る。
2025年7月19日土曜日
[8866] 退がる
2025年7月18日金曜日
[8865] ゲゲっ!
●ゲゲっ!
ゲゲっ!
明日は会場で囲碁大会があるらしく、
明日と明後日、
展示会場を追い出されることになりました。
でもガラスケースの展示はしていて
私はホテルのロビー中央にて
『おみくじ』やります。
追い出されたというよりは
昇格したような…
いろいろあっても常に柔軟対応。
明日もよろしく。
2025年7月17日木曜日
2025年7月16日水曜日
[8863] 思考
●思考
思考を支えているのは脳だ
脳を支えているのは身体だ
身体を支えているのは地面だ
地面には川があり山があり
人がいて動植物がいて
上に空があり月があり
太陽があり宇宙がある
身体はこれら全てと一続きだ
どこにも切れ目がない
思考は一番上の脳にいるから
一番だと思い込んでいる
全てから支えられているくせに
2025年7月15日火曜日
2025年7月14日月曜日
[8861] オリジナリティ
●オリジナリティ
絵が奈良美智と似てると言われた。似ているのではなく少しだけ取り入れているのだ。
最近、友達から奈良くんの話がでた。フェスで友達がDJ奈良くんと私の話になったらしい。昔、作品の巨大化を造形屋さんに頼んだ。なんとそこで奈良くんがバイトしていたらしいのだ。ふと浮かんだ、多分なんとなく違うなぁと思っていたあの作品、奈良くんタッチぽい。こんなところまでポサが出るんだからクセの強い人だなぁと思った。そういや造形屋さん元気かな?
似てるというのは個人の好悪が先入観として入る。本物が一番で他は二番煎じという一番贔屓する意識だ。逆に「私を似てるように描いて」と言われ、描いて「似てない」と言われるのは、世の中に同じものはなく多様だという意識だ。似てるは『1』であって、似てないが『多』なのだ。どんなものでも何かと似てるし何とも似てない。だから全ては似てると似ていないを含む。
例えば私の作品の『猫神様』は猫が仏像を含んだのだ。俳句で言う二物衝撃だ。同じように猫が奈良くんを含んだ。奈良くんは素晴らしい作家だからね。とまぁ、こんな言い訳じみた性格と作風のおかげでどこにもないスッゴイものを発見した。それが『わ』の図と坐禅で、そこに私の真のオリジナリティがある。
2025年7月13日日曜日
[8860] 生きる
●生きる
画家近藤亜樹さん再び登場、家に迎えた。家猫、庭、粘土、絵、猫から猫でないものまで、私が創作した色々を眺め感じ言葉で表現する。彼女は芸工大を出て20代前半からもう売れっ子画家で、いろんな苦難を乗り越え、躍動する生命を描く37歳の画家に成長した。
私などは大学卒業してからアートに目覚めたわけで、アートのアの字も知らない人間以下だった。いつの間にか身の周りの物や事をアート化して身に纏い始めた。35歳の時、今の彼女ぐらいの年齢だ、私は猫を被ることでようやく人になった。それから30年、生きる生活の場が全部アートになっている。彼女に共感するのは彼女もまた生きるアートだ。生死を感じる。
生きると言えば黒澤明監督の『生きる』はとてもいい。


























