京都の街を歩きながら考えた。
世の方々にはパワハラ、セクハラ、ハラハラため息の出るような腹立つことむしゃくしゃすることがたくさんあると思う。ワシなどはストレスなどまったくない環境にいると思っていたのに、たまに会うオヤジ共にストレスや面倒を感じる。だいたい自分は誰にでもざっくばらんに語るタイプだ。朗らかでいいのだが、話し相手など少なくなっているオヤジ共からすると新しい友だちのように感じるのだろう。実はそこ! ワシはオヤジ共に懐かれると気色悪いと感じてしまうのだ。この気色悪さの原点なるものが、自分の父親なんだろうと思う。度を過ぎた親心というホモセクシャルに似た気色悪さかな。
でも考えてみると、父親の友人も兄弟姉妹もほとんど他界している。心細いのだろうね。50を過ぎたオヤジ共は今後だんだんと心細くなっていく、それに抵抗し、他人に必要とされようと培った知識や経験で助言などをするのだが、それがうざい自慢になっていることに気付かない。
あっ! もしかして自分もそんなオヤジになって、口で災い降り撒いているのかもしれない。気を付けようっと。
写真は『魚とお酒 ごとし』にて。ワシの金魚作品です。
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