人の中には暴力がある。
権力は巨大な暴力で反抗心や反対概念を黙らせ蹴散らす。
もちろんこれによって暴力が消えるわけではない。
これが原因になって、反対の暴力は散らばり隠れる。
その後、バラけた暴力の分子はくっ付き、テロとなる。
暴力はもっと蔓延る。
これが結果で原因になる。
暴力の歴史は続くのであった。
ところで人は他人の喜びや痛みになぜか共感する。
この共感が『慈悲心』と言うものだろう。
人にはいろんな感情がある。
暴力と同じようにそれらの感情にも原因がある。
が、唯一『慈悲心』だけには原因がない。
結果もない。
あればそれは偽善だ。
なんとなく自分の心を眺めればいい。
原因も結果もない慈悲心は
原因も結果もない大きな生命循環に繋がっている。
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