小説『自由自在堂』のタイトルにしたように、僕にとっては『自由自在』が最も興味深い。自由自在になればどこへでもゆけるし、大抵の物は手に入る。これは金があってもできることだが、金を稼ぐのは面倒だし、金など誰かの手に渡ってしまえば自分のものではない。奪い合いとか不安、政治経済がつきまとう。そんな面倒な金など無視して、何にもつきまとわれることのないどこへでもゆける自由自在を編み出せばいいのだ。ではどうやって?
撲は猫を作ったばかりでなく、猫を神仏にすることで、猫に関係するあらゆるところに行けるようになった。これは引き蘢り系の僕が自由自在になったようなもの。でもこれは確かにある種の自由だがほんの小さな自由で、いつものシングルベットがダブルベットになったみたいなもの、本物の自由自在ではない。なぜなら猫仏像は偶像崇拝でほぼ日本だけにしか通じない。少々風変わりな民族衣装だ。どこかの国の田舎の魔除けみたいなもの。では日本の文化を世界に広めたらと思ったが、今度は日本文化という屋根が邪魔で空も見えない窮屈なベッド。『猫かぶり』も『日本かぶり』も同じようなものなのだ。
どうせ寝るならどこまで寝返り打っても何も邪魔しない、どこまでも上には青い空が見える広大無辺のベッド、それは夏目漱石のいう『草枕』だろう。地球がベッドだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿