呼べば答える人懐っこいチョコビッチでも、もしや、倒れていたり、声が潰れていたりすれば反応できない。アニニョンはネズミホイホイを身体にくっ付けて帰ってきたことがある。農家にはネズミホイホイやネズミ取りの毒入りエサだってある。もしかしてと考えたらドキドキして息苦しくなった。
日中、近所の全ての小屋を開けて見せてもらう。とりあえず近隣の小屋にはいなかったので安堵。ではいったいどこへ、心はまごつくばかりで、この雪空のようにちっとも晴れない。
猫共はなぜにいなくなるのだろう? 青年期、冒険がしたくなるのか。引き蘢り性の僕でさえ何を求めたのか、そういう性質が備わっているのか、青年期に何度か一人旅に出て、運良く生きて帰ったが、ヤバい経験をたくさんした。親の心配なんかこれっぽちも考えていなかった。チョコと同じだ。進化の段階で海を出て地上に、動物とはそういうものなのだろう。
人は世界を狭く固定しがちだ。だから思い込みや固定概念や集団の考えにハマりやすい。そんな時、人はそんな疑似安定から外へ身を投じ、思いも寄らない世界の広さと同時に己のちっぽけさを体感せねばならない。己と世界がイコールだからこそ、偉大さと謙虚さを身につけることができる。部分に身を置いているだけではダメなんだ。
万策尽きた。チョコビッチは旅に出たのだろう。あとは待つしかない。
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