2017年1月26日木曜日

[5874] ありがとう

近所の魚屋さんから「茶トラの猫を見た人がいる」との情報。すぐに、うちから1km以上もあるその人の家に出かけてみる。
「すごく人懐っこい茶トラで、人を見るとニャーニャー泣いて近づいてくる。でもここ2日ぐらい見てないかな」と。
 おおおおおお、チョコビッチだ。おばちゃんが見たという辺りの小屋やビニールハウスを探す。猫の足跡もたくさんあった。もうすぐ会えると思うと涙がこぼれそうになった。最後にビニールハウスを覗いた。暖かい明るいハウスの真ん中に茶トラの猫がいた。でもチョコではないような?? ハウスの中に入り、近づいた。僕を見て泣くがチョコと声が違う。ずいぶん小さい、たぶん去年の秋に産まれた子だろう。ずいぶん人懐っこくガリガリに痩せていて、撫でてやったらお腹を出してゴロゴロした。可愛い猫だ。チョコは諦め、この子にしよう、この子でいいや。僕は行方不明になった愛しい妻を探しに旅に出たが、途中で若いもっと可愛い子に出逢ったものだから、妻は諦め、新しい若い娘とネンゴロニャンになったような。遠くでチョコがこのことを知り「ちょっと待った! そりゃあないだろう、わじんさん、わかった、帰るよ」
 じゃあ早く帰って来いよ!
 この辺りにビラを配り、家に帰ったら、電話がきた。コーヒー豆屋さんの庭に22日昼頃、猫が木に上ったりしていた。小さい茶トラではない。その後見かけてないと。木登りが得意な大きな猫はチョコだ。22日の早朝からいないわけだから、その日のうちに1km以上の地に行ってしまっていたのか。ガーン! でもどこかにいるだろう少しだけの希望が見えた。
 今春、最上徳内記念館で一緒に2人展をやる陶芸家で書家の市田さんから、「ダウジングで猫探す」というメッセージがあった。面白そうなので調べやってみた。ところがダウジングをやっているうちになぜかだんだん腹が立ってきた。チョコの情報を手に入れに潜在意識の中に入ったら、代わりに『タメ口』というものが海面に浮上してきたのだ。
 潜在意識とは海の氷山によく喩えられる。海に出た氷山の一角が顕在意識で海の中にある巨大な氷が潜在意識だ。潜在意識は無意識とかとも言うのだろう。僕らの日常は顕在意識で生きているように思えるが、底にある巨大な潜在意識の力に左右されている。その潜在意識は他の全ての動物と繋がり、細胞や宇宙、宮沢賢治の『アラユルコト』だと思う。
 僕の心身はほぼ100%がアートで生きている。僕はいろんなアーティストを尊敬している。尊敬している人に対してタメ口はきかない。そんなことをしたら嫌われる、アートから嫌われる。それは面白くない。アートは知覚の根っこであり、この科学文明社会の深くに隠された神髄である。『タメ口』とは、その神髄を小さな自分の器の中に入れて小さく扱う無礼な人間の高慢さだ。そのアートの神髄があるところが潜在意識だ。そしてチョコは巨大な潜在意識からたまたま顔を出した猫という動物だ。だからチョコもアートの神髄である。僕はそのチョコをまるで自分のモノとして小さなモノとして考えている。広大な潜在意識でありアートの神髄を、己より小さなものとして考えているようなものだ。一回Hしたから、この女は自分のものだと自慢し触れ回るバカな若者のように、女性の心を、潜在意識を捨てているような意識だ。一回二回会ったからってアーティストが身内になったようにタメ口や馴れ馴れしくする、アートの神髄を台無しにする意識だ。自分のためにチョコがいるのではない。自分のためにアートがあるのではない。自分のための潜在意識ではない。チョコやアートや潜在意識の中でダウジングの振り子のように小さく揺らされ左右されているのが己だ。チョコやアートや意識のほんの先っちょに自分がいるだけで、人は何もこれっぽっちも解ってない。自分も含め、これら人間の持つ傲慢さに腹が立ったのだろう。
 ダウジングをやって、思うようには何もならなかったが、自分の小さな器にチョコを入れようとした自己中心的な意識を反省させられた。『タメ口』に対して『親しき仲にも礼儀あり』が諭す言葉だ。そうか、チョコは小さなモノではない、そう思った。確かに弱き小動物だが、こんなに心左右させられるなんて、猫は小さなものではないということだ。逆に己が大きなものだと思っていることが自惚れなのだ。つまり『諦め』のようなものがふと僕の心の中に浸透し、昨日一昨日よりも少し清々しさを感じた。青く晴れた雪景色が奇麗に見えた。チョコはこれでいいのかもしれない。
 夕方遅く、いつ帰ってきてもいいように隙間を作っていた玄関のドアが大きく開く音が聞こえた。二軒隣りの青柳さんが「小屋に猫がいる。嫁さんが捕まえている。来てくれ」と言う。また誑かすチャチャだろうと軽い気持ちで懐中電灯もって出かけた。なんと本物の生きたチョコだった。僕は嬉しさに雪に崩れ落ち、大声を出して泣いた。僕の頭の上の木の枝でチェシャ猫がニヤニヤ笑っていた。ありがとう。チョコは間違いなく帰ってきたのだ。青柳さん、ありがとう。チョコ、アートの神髄、潜在意識よ、ほんとにありがとう。

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